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November 29, 2011
共和党黒人大統領候補のセクハラ疑惑に固執するリベラルメディアの偏向
共和党大統領候補のひとり、ハーマン・ケイン氏のセクハラ疑惑について以前に書こうと思って途中になってしまったエントリーがあった。今日になって、あらたに別の女性がケインと13年間にわたって不倫関係にあったと名乗り出て来たので、やっぱり書いておこう。
ケイン氏は、他の共和党候補らと違って政治家としての経験はまるでなく、大手ピザチェーンの元社長、全国レストラン協会の会長を何年も勤めたビジネスマンである。
歯に衣を着せない率直で斬新な態度が保守派の間で人気を呼び、立候補以来人気急上昇であった。しかし出る釘は打たれる。特にケイン氏は黒人なのでリベラルからは目の敵にされる。
ここで説明しておく必要があるのだが、アメリカの左翼リベラルは表向きは少数民族の人権を尊重するとか、人種差別反対とか男女平等とか、多様文化主義だの寛容だのと騒ぎ立てるが、彼らほど差別意識が強く他文化に対して不寛容な輩もいない。
特に少数民族がリベラル思想を拒絶して保守派だったりすると、KKKさながらの攻撃を容赦なく射かけてくる。ケイン氏への攻撃が他の白人候補者への攻撃よりひどいのは、まさに左翼リベラル主義の人種差別意識が理由である。
さて、数週間前にケイン氏のセクハラ疑惑が浮上してから、アメリカの三大ネットワークはたった一週間で84回もケインのセクハラ疑惑に関するニュースを報道した。これに比べて1998年の当時大統領だったビル・クリントン氏に強姦されたと名乗り出たワニータ・ブロードリックに関する報道はその直後の週でもたったの4回に留まった。
アメリカのリベラルメディアはリベラル政治家によるセックススキャンダルは過小評価するくせに、保守派となると、それが特に黒人の場合は、どうでもいいようなくだらない話が過大評価されて大々的に話題にされる。
1991年にパパブッシュから最高裁の裁判官に任命された黒人判事のクレアランス・トーマス判事は、数年前に一緒に働いていたアニタ・ヒルという女性弁護士にセクハラをしたという疑惑で大騒ぎになったことがある。しかし、実際に被害者として名乗り出たヒルの言い分が100%事実だったとしても、トーマス判事の罪状はといえば、ヒルの面前で多少卑猥な冗談を述べたといった程度のくだらないものだった。
後にリベラルが一笑に伏したクリントン元大統領が実際にホワイトハウスでインターンにさせたオーラルセックスや、ポーラ・ジョーンズに対するクハラ疑惑やワニータ・ブロドリックに対する強姦疑惑などとは比べ物にならないくらいどうでもいい出来事だった。
にも関わらず、トーマス判事のセクハラ疑惑は何週間にも渡ってメディアで取り沙汰され、トーマス判事はもう少しで最高裁判所の判事の座を逃すところだった。
その時トーマス判事はリベラルが黒人に対して使う武器は昔ながらの性的不祥事のぬれぎぬをかけることで、ワシントンでは、自分が実際に何をやってきたかではなく、人々が自分が何をやったと思っているかが問題にされると語った。
ケイン氏は当初、このセクハラ疑惑が表沙汰になったのは、ライバル候補のリック・ペリー陣営に乗り換えた元ケイン選挙運動事務所従業員の仕業だと言っていたが、私はそうではないと思う。私はこれは現大統領のオバマ王の陰謀に間違いないと確信している。
オバマ王はこれまでにも、ライバル候補のスキャンダルを暴露してライバル達の立候補を辞退させたことがいくらでもあるのだ。オバマ王の選挙運動の汚さは悪名高い。オバマ王にとって、黒人のケイン氏が共和党候補になられては非常に都合が悪い。相手が黒人ではオバマへの批判は人種差別だという言い訳は通用しなくなる。
また、オバマに不満を持ち始めている黒人有権者の間からも、黒人だからという理由で自動的にオバマが選ばれるという保証はなくなる。
だから、共和党の予備選が始まる以前の今のうちに、強力候補者を破壊しておこうという魂胆である。
セクハラを訴える女性達を悪者扱いしたくはないが、深刻な訴えなのでその内容は充分に吟味されなければならない。
女性1:匿名、1990年代にケイン氏に対してセクハラ苦情を訴えた。訴えはレストラン協会が訴訟保険から慰謝料$45,000ドルを払って示談となった。
女性2:カレン・クラウシャー,55歳。元ジャーナリスト。10年前にケインに対してセクハラの苦情を訴え$35000ドルで示談になった。
本人は名乗り出る気はなかったが、ワシントンポストにすっぱ抜かれたので仕方なく名乗り出たという。現在オバマ政権で働くスタッフ。 2010年からコミュニケーションディレクターとして財務省で働いている。
カカシ注:示談になったからといってケインが有罪だったということにはならない。裁判になれば勝てるかもしれないケースでも、裁判にかかる金と時間を考慮にいれると、こっちが悪くないと思っていても示談にして、さっさと片付けてしまったほうが得な場合はいくらでもある。私もそうやって自分が悪くない交通事故の訴訟でうちの保険会社が相手に慰謝料を支払ったことがある。
女性4:シャロン・バイレック、50歳。1997年にケインに職探しの相談をしにいった時に、車のなかでオーラルセックスを強要されたというもの。ただし彼女はその時に警察に届けたりレストラン協会に訴えるなどといった公式な行動は何もとっていない。
バイレックは名乗り出たのは売名行為でも経済的な理由でもないとしているが、彼女の弁護士はセレブの弁護で有名なグローリア・アウレッド。彼女のような高い弁護士が金にならない訴訟に手を貸すはずがないので、背後で多額の金が動いていることは憶測できる。
バイアックは過去に二回破産宣告をしており、多々の民間企業から訴えられ、一万ドル以上の滞納税金の他に、アパートの家賃踏み倒しやクレジットカードの借金など、合計すると4万ドル以上の借金がある。
名乗り出たのは売名行為でも金目当てでもない?は!どうだかね。
女性5:ジンジャー・ホワイト。1990年代の終わりにケンタッキーのルイジアナで知り合って以来、ケイン候補と13年間に渡って愛人関係にあったという。携帯の記録ではホワイトとケインの私用電話の間で61回のの会話やテキストが記録されており、早い時で午前4時半、遅い時で夜7時52分という記録が残っている。数ヶ月前、ケイン氏が本格的に選挙運動を始めた頃に別れた。名乗り出た理由はセクハラを訴え出た女性達へのケイン氏の扱いが理不尽だったからということ。
しかし、この女性の背景にはちょっと問題がある。ホワイトは失業中の子持ち独身女性。2001年にも上司に対してセクハラを訴えたことがあり、それは示談となっている。また23年前に破産宣告をした記録も残っており、アトランタ地域で過去6年にわたって7回の立ち退き命令を受け取っている。
また、ホワイトの元ビジネスパートナーはホワイトからの度重なる電子メールやテキストによる、訴訟を起こすという脅迫メッセージを受け取り、「ストーキングからの一時的な保護命令」を求めたことがあるという。
というわけで、セクハラ疑惑とはいっても、どうも怪しげな女性達の怪しげな訴えばかりであり、実際にどんなことがあったのかはっきりしない。それでも火のないところに煙は立たないというから、こうも色々な女性から苦情が出ているとなると事実なのかもしれないと思う有権者は出て来るだろう。オバマ王の狙いはもちろんそこにある。
リベラル候補者なら女性関係のスキャンダルなど問題にならない。だいたい左翼リベラルは自分らにも全く道徳観念なんてものはないのだから。クリントン大統領のあからさまな女性関係は全く問題にならなかったし、オバマ王の麻薬経験も喫煙趣味も全く問題にならなかった。だから彼らがライバル候補のこうした過去を暴露するのは偽善に満ちている。
とはいえ、保守派は道徳観念が強い。もともとケインを支持しようかどうか迷っていた人々の間では、これらのスキャンダルが悪影響を及ぼす可能性は多いにある。
November 29, 2011, 現時間 10:54 AM
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November 28, 2011
「危ないから女性記者をエジプトへ送るな」という訴えは女性差別なのか?
ここ数日間にエジプトで起きた二件の西洋女性記者への性的暴行事件が元で、国境なき記者(Reporters Sans Frontières RSF) がエジプトは特に女性にとって危険な場所なので、女性記者の派遣は当面差し控えるべきだという声明文を発表した事に対し、世界各国の記者たちから批判が殺到。RSFは止むなく勧告を撤退し、女性記者派遣の際は記者の身の安全を最優先させるべきだと声明文を訂正するに至った。
確かに厳密な意味でいえば差別は差別だが、実際にエジプトが特に女性記者にとって危ない場所であるかぎり、そういう危ない場所には行かないほうがいいという勧告を、単に女性差別だといって撤回させるのは非常に無責任だ。
RSFフランス支部の元々の声明文は、
当面の間、メディアはエジプトの情勢の取材に女性記者を派遣するのを停止すべきである。このようなことになるのは誠に遺憾であるが、暴力や暴行を考慮に入れた場合、これ以外の対策はない。
といった内容だった。しかし、これには世界中のメディア組織から苦情が殺到。数時間後にRSFは勧告声明文を、
派遣記者や地方記者の安全を保つのは最優先である。タヒリ広場の取材は男性よりも女性にとって危険である。メディアはこの事実に面とむかうべきである。
というふうに訂正を余儀なくされた。
RSFの勧告は、今年はじめにアメリカのララ・ローガン女性記者が集団暴行を受けた同じエジプトのタヒリ広場で、先日暴動の取材をしていたフランスのカロライン・シンズ女性記者がカメラマンとひきはなされて性的暴行を受けた事件と、エジプト警察に拘束されたアメリカ人記者モナ・エルタハウィ女性記者が12時間にわたって数人の警察官から性的暴行を受けたという事件に端を発している。エルタハウィさんはその際両手首を折る怪我を負った。
しかし、イギリスのチャンネル4テレビで編集を勤める自分も危険な場所からの海外特派員として実歴のあるリンズー・ヒルサム女史は、RSFの元の勧告を撤回するよう抗議した。
私たちは何十年も編集長たちに女性記者を公平に扱ってもらうよう闘って来た。いかにして報道の自由に尽くして来た組織がこのような差別的な方針を推薦出来るのか理解できない。
ヒルサム女史にいわせれば、確かに女性に対する性的暴行やハラスメントは深刻な問題ではあるが、だからといって女性はそのようなことに威圧されるべきではないとする.男性記者も襲われたり殺されたりしているが、男性記者に取材に行くなとは誰も言わないではないか、というもの。
しかし、カイロの地元のある女性記者の話によると、エジプトにおける女性への性的暴行は革命後とみにひどくなったという。
「私は長年エジプトにいて、こんなひどいハラスメントにあったことはありません。「今日のタヒリ広場には何かおそろしく威嚇的な雰囲気があります。以前のタヒリよりギタギタと汚い感じがします。」
この女性記者はチュニージアやリビアやバハレンからもリポートしたことがあるベテランだが、タヒリにおける女性への痴漢行為や性的暴行のレベルはこれまでになくひどいものだという。しかし彼女はだからといって女性は威嚇されてはならないという。女性には女性の見解というものがあり、女性の立場からの報道は大事だと語る。
シドニーモーニングヘラルドの女性記者、ルース・ポーランドさんは、確かにカイロの抗議デモにおける女性記者への暴行はここ数週間目立ってひどくなっていると語る。しかし、
「フランス人記者の件はおそろしくひどいものですが、編集長が女性記者をエジプトへ派遣するのをやめることによって状況が安全になるというわけではありません。」
だが、犠牲になる女性記者の数を減らすことは出来るではないか?
以前にも書いたが、戦争地帯など危険な場所へ派遣される特派員たちは、それなりに特別な訓練を受けてから行くことになっているが、そのなかに女性に対する性的暴行に関する情報は全く含まれてない。そのような話を持ち出すことそのものが女性差別と批判されかねないからだろう。
女性への痴漢行為や婦女暴行はエジプトでは深刻な問題らしい。カイロ本拠のハラスマップという組織を経営するレベッカ・チャイオ(Rebecca Chiao)さんは、エジプトでは女性が外へでる度に、実際に触られるにしろ口述にしろ、何かしら性的嫌がらせに遭うのが普通だという。
2008年に行われたアンケートによると、83%の女性が性的嫌がらせにあったことがあると答えている。そして嫌がらせにあった3/4の女性がベイルを被っていたと答え、98%の外国人女性が威嚇されたり痴漢行為をされたりしたと答えている。
だが、エジプトに派遣された女性記者たちは、この事実をどれだけ把握しているのだろうか?
2月に被害を受けたローガン記者は、後のインタビューで、エジプトにおける婦女暴行がこんなにもひどいものだということを全く知らなかったと語っていた。ローガンのようなベテラン記者でもそうなのだから、他の記者達の間でもそれほど実情が理解されているとは思えない。
女性特派員たや編集者たちは、RSFの勧告を女性差別だのなんだのといって抗議してる暇があったら、危険な場所へ女性特派員を送り込む際には、女性はどのような注意をしなければならないのか、もっときちんとした訓練を施す努力をしたらどうなのだ?
少なくとも女性だけで野蛮人の暴動のまっただ中に取材に出かけるなんてアホな行為は今後一切控えてもらいたい。これは女性差別ではなく常識だ!
November 28, 2011, 現時間 2:01 AM
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November 27, 2011
またも女性記者がエジプトで集団レイプに遭う、女性記者をエジプトへ送るな!
南アフリカ出身のアメリカ女性記者、ララ・ローガンさんが、エジプトで取材中に群衆に囲まれて20数分に渡り集団暴行を受けた話はここでも取り上げたが、ローガンさんが暴行を受けた全く同じタヒリ広場で、今度はフランス人女性記者カロライン・シンズさんが全く同じように群衆に囲まれ殴られ服をひきちぎられ、「レイプとしか言いようのない扱い」をされ、数人のエジプト人の救出されるまで、約45分間に渡って暴行を受けたという。シンズさんと一緒にいたカメラマンの女性もシンズさんとひきさかれて暴行を受けた。
また、一時間後、今度はエジプト出身のアメリカ女性記者Mona Eltahawyさんは、エジプト警察によって拘留されている間、警察官数人から体中まさぐりまくられたという。何人の手が彼女の下着に手を入れてきたかわからないとEltahawyさんはツイッターでリポートしている。
「国境のない記者(RSF)」のフランス支部は、一旦女性記者をエジプトへ送らないようにと勧告声明を出したが、非常なバックラッシュを受けたため、エジプトへの記者派遣には記者の安全を最優先するようにと声明を訂正した。
「国境のない、、」フランス支部が当初に出した、こういう場所へ女性記者やカメラマンを送るなという勧告は適切だと思う。今年の2月にすでにローガン記者への暴行事件が起きているエジプトで全く同じような状況が起きているところへ、なぜフランスのテレビ局は金髪で青い目の美人記者を女性カメラマンと二人きりで送り込んだりしたのだ? 興奮しまくってる若い男達の間にそんな女性二人を送り込んで何も起きないと思う方がどうかしている。
女性を送るなという勧告に批判が集まったというが、野蛮人の暴動を取材していて男女平等などというきれいごとを言っていても意味がない。だいたい暴動が起きているまっただ中に、か弱い女性を送り込むことで、いったい何が得られると言うのだ?
以前にアフリカでトッツィーとフッツィーという種族がもの凄い殺戮を繰り返して居た頃、アフリカに取材に行っていたアメリカ人の黒人記者が、アフリカへは黒人記者はいかな方がいいと言っていた。皮肉なことにアフリカにおける種族差別はアメリカ国内の人種差別などとは比べ物にならないほどひどい。鼻が低い高い、肌の色が多少白い黒いで、敵対する種族と間違われれば、その場で釜で滅多切りされるなんてことは普通に起きる。
文明社会における男女平等だの人種差別禁止だのといった観念は野蛮社会では全く通用しない。そんな観念が西洋記者達の身を守ってくれると思うほうが甘い。
エジプトへ女性記者を送るなという勧告を批判した人々は、女性の夜道の一人歩きは危ないからしないようにと警告した人々を「自己防衛を説くのはセカンドレイプを誘発する、黙れ!」と言って大騒ぎしたフェミニストの連中と似たような物だ。理屈はどうあれ危ない場所は危ないのだ。きれいごとを言っていても身は守れない。
この話は、野生のグリズリー熊の生息地へライフルも持たずに出かけて行って、キャンプ中に熊に襲われ食われて殺されたカップルを思い出す。二人は自然愛好家でグリズリーに非常な興味を持っていたが、野生動物にそんなことは興味はない。腹の減った熊には二人は単なるランチに過ぎなかった。
いったい何人の女性記者が犠牲になれば、西洋メディアは学ぶのだ? 今後こういう危険な場所へ取材に出かける女性たちは、それこそ本当に自己責任だ。5〜6人の白人ボディガードを付けて自分も武装して、襲われたら4〜5人はぶっ殺してやるくらいの覚悟がないなら、こんな危ないところにノコノコ出かけて行かないで欲しい。
November 27, 2011, 現時間 9:53 AM
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September 17, 2011
オバマ政権の男尊女卑明るみに出る、元スタッフ達の告白
2009年にも当ブログで、私はオバマ政権内の女性差別について書いたことがある。オバマは男性スタッフ達と一緒にゴルフをしたり、ホワイトハウス内部でフットボールやバスケットボールのトーナメントを行なったりして、女性スタッフには参加出来ないイベントが沢山おこなわれて女性達は疎外されているという話をした。
今回出版されることになったロン・サスキンド氏著の”Confidenceman: Wall Steet, Washington and the Education of a President”は、元ホワイトハウススタッフ200人をインタビューして書かれたもの。それによると、ホワイトハウス内部は女性にとって非常に険悪な環境であり、女性スタッフは何かと性差別を受けているという。
サスキンドは、毛沢東崇拝発言で顰蹙を買った元コミュニケーションディレクターのアネット・ダン女史がある会議において、『ホワイトハウスは女性にとって法廷が指定する「険悪な環境」という定義に完璧にあてはまる』と語ったと書いている。(ダン女史本人は、そんなことを言った覚えはないと語っているが。)
「私は一片の肉片のような気がした。」と語ったのは元経済アドバイザーのクリスティーナ・ロマー女史。英語で"a piece of meat"という表現は、取るに足らない存在という意味。
ダン女史も2008年のオバマ選挙運動のテレビ広告に女性が一人も登場していないことに苦情を発したことがある。当時彼女は女性の視点が全く反映されていないと不満を述べていた。
オバマ王が男性スタッフを贔屓して女性スタッフをないがしろにするボーイズクラブ的姿勢は以前から他でも指摘されていた。それにしても左翼リベラルたちの偽善には今更ながら呆れる。
常に右翼や保守を男女差別だ人種差別だと差別者扱いしておいて、実際に本当の差別を行っているのは自分らのほうなのだから。
問題なのは、左翼リベラルの少数派が左翼リベラルによる差別を黙認していることにある。差別行為は右翼や保守派の場合のみに問題にされ、加害者が左翼リベラルなら問題にならないというわけ。
確かアン・コールターが書いていたが、左翼リベラルには「犯罪」そのものは存在しない。存在するのは「犯罪者」のみ。つまり、ある種の行為が犯罪となるかどうかは、その行為を行う人によって決められるというもの。
本当のフェミニストならオバマ政権の男尊女卑を真っ向から批難すべきなのだが、多くのフェミニスト達はフェミニストである前に左翼リベラルだから、左翼リベラルの政治家を批判するようなことは絶対に出来ない。だから左翼リベラルの職場における男尊女卑は多分右翼保守派での職場よりずっとひどいと想像できる。
加害者が左翼リベラルの人気者オバマ王では、男尊女卑など問題にならないというわけ。偽善だね。
September 17, 2011, 現時間 11:05 AM
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June 24, 2011
デルタ航空は本当にサウジ行き便からユダヤ人乗客を拒否し女性乗客にブルカ着用を強制するのか?
航空会社が他社と提携するのは普通だが、アメリカの航空会社が他国の航空会社と提携した場合、アメリカの法律と他国の法律との矛盾が思わぬ問題を引き起こすことがある。最近デルタがメンバーであるスカイチームアライアンスという世界の航空会社14社からなる提携チームにサウジアラビア航空が参加するに当たり、デルタ航空がサウジ航空のユダヤ人搭乗拒否や女性差別の方針を受け入れるとすればアメリカの法律に違反することになるとしてFAAによる捜査が始まった。
デルタ航空は同社は乗客を宗教や人種や性別で差別する方針は全くないと主張する一方で、提携している国々の法律には従わなければならないとしている。ということは、サウジアラビアがユダヤ人の入国を拒否し、サウジ国内における女性の服装を厳しく規制していれば、サウジアラビア行きのデルタ便は必然的にその方針に従わなければならないという理屈になる。
ちょっと待てよ、それでは理屈が逆ではないか? サウジアラビアが国際社会のチームメンバーとしてスカイチームアライアンスに参加するなら、アライアンスの他国のメンバーがサウジに合わせるのではなく、サウジがチームの規則に合わせるべきなのではないか?もしそれが出来ないのであればチームはサウジの参加を拒否すべきだったのだ。
スカイチームはアムステルダムが本拠の国際チームなので、ヨーロッパの会社はユダヤ差別に全く抵抗がないというならそれはそれで彼らの勝手だ。しかし、デルタはアメリカの航空会社であり、人種や性差別はアメリカでは明らかに法律違反なのであるから、サウジアラビア航空のチーム参加に異議を唱えるべきだったのだ。その異議が否決された場合はそんな差別的方針を持つ航空会社とは提携は結べないとしてスカイチームから脱退するくらいの覚悟が必要だった。
自分らは差別方針は持っていないが差別方針のあるサウジアラビアの法律に従うというなら、差別をしているのと全く同じではないか。よくそんな人を馬鹿にしたようなことを平気な顔して言えるものだ。
サウジアラビアの方針では、イスラエルパスポートを持つ乗客や、イスラエル入国のスタンプがパスポートに押されている人、またイスラム教以外の宗教的印刷物やシンボルの持ち込みは違法(たとえば聖書とか、十字架とか、仏教のお経とか数珠とか)。女性はブルカを被っていなければならないとか、男性同伴でない女性はサウジに着いた際に男性が迎えに来ていなければならないとか、色々面倒くさいことがある。
私は仕事の都合で会社指定の航空会社を使わなければならないことになっている。但し、他社の社員と合同で行動しなければならない場合とか、きちんとした理由さえあれば別の航空会社を使うことも許可されている。今後出張の際にデルタ航空が指定された場合には、ユダヤ人や女性を差別するような航空会社を利用することは出来ないとして、断固デルタ使用は拒否する。
そもそもデルタがサウジアラビア航空をメンバーに加えたのは利益が目的だったはず。それならば議会による捜査も当然のことながら、アメリカ国民が一斉にデルタをボイコットして痛いところを突くことこそ、自由社会のアメリカにとって一番適切な抗議だろう。
June 24, 2011, 現時間 4:00 PM
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May 8, 2011
ララ・ローガンが破った沈黙の掟、女性海外特派員が黙って耐えて来た性的暴行の現状
昨日ララ・ローガンがエジプトで受けた暴行体験をテレビ番組で語った時に、最後の方で彼女が言ったことが非常に印象に残った。
ローガン:ひとつ私が非常に誇りに思っていることは、意外だったのですが他の女性リポーター達が私が沈黙の掟を破ってくれたと語ったことです。これまでみんなが経験して一度も公言しなかったことを。
司会者: それはどういう意味です?
ローガン: 女性は性的な暴力について決して文句は言わないという掟です。誰かから「だからそんな場所に女性が行くべきではない」と言われたくないからです。ジャーナリストとして多くの女性たちがこういう目にあっていると思います。でもだからといって仕事を止めたくない。何故なら彼女たちもわたしと同じように仕事に賭けているからです。彼女たちはアドレネレン中毒なんかでも栄光にどん欲なわけでもありません。ジャーナリストという仕事を信じているからやっているのです。
これまでにも海外特派員として女性ジャーナリストは数々の恐ろしい場所へ出かけて行って取材をしてきたが、男尊女卑など当たり前の国や戦争の混乱で犯罪者がすぐには罰せられないような場所では、女性ジャーナリストへの性的暴行は頻繁に起きる。特に西洋以外の場所では白人女性は皆娼婦だという感覚で性的対象と見られ勝ちである。
加害者はテロリストや犯罪者とは限らず、通訳にやとった現地人だったり、ボディガードや警察官だったりする。
そんななかでセクハラやひどい時には強姦といった目に会った場合、たいていの女性ジャーナリストは沈黙を守る。直属の上司にすら報告しない女性が多い。ましてやローガン記者がやったように大々的に公開してしまうなどということは先ずしないと語るのがジュディス・マットロフ(Judith Matloff)という自分も20年間海外特派員をやったというベテラン記者。
彼女は2007年に"Foreign Correspondents and Sexual Abuse" (海外特派員と性的暴行)という論文を発表している。
この論文のなかでマットロフ女史は女性記者が強姦などの被害にあったことを公開しないのは、辱めを受けたことが公になるのが恥かしいからというよりも、そのことによって「だから女は連れて行けない」と言われて仕事を失うのが怖いからだという。
海外特派員の世界は競争が激しい。男同士でもどれだけ危険な場所で特殊な情報を取材してくるかで出世の道は違ってくる。そんな男の世界で元々女ごときがやるべき仕事ではないと思われているものを、頑張って海外取材に行かせてもらえるようになったのに、そんな場所でセクハラに合いました、強姦されました、などと泣き言を言えば、新聞社にしろテレビ局にしろ経営者に女性記者を企画からはずす良い口実を与えてしまう。
女性記者たちの沈黙の掟は非常に厳しいため、実際にどのくらいの女性記者が性的暴行の被害にあっているのか確かなことは言えないのだが、2005年にブルッセルの国際ニュース安全委員会(International News Safety Institute)が行った調査によると、回答者29人のなかで半数以上が職場でセクハラや性的暴行を受けたと回答した。しかも暴行が強姦の場合でも親しい友達にすら言わなかったという答えが普通だった。
この調査をおこなったロドニー・パインダー氏は調査後にとある幹部女性記者と話していて、彼女の口が非常に重いことに驚いたという。女性記者たちが性的暴行の話をしたがらないのは、1)職場において男女平等の立場を失う、2)新しい企画に就かせてもらえなくなる、と恐れるからだという。
マットロフ女史が個人的に知っている限りでも、イラクで警備員が真夜中に女性記者の部屋に入って来て寝ている記者を犯した例、アフリカで通訳の男性が記者を強姦した例、など女性記者たちは加害者を刺激するようなことは何もしていない。保守的な地元民の眉を潜めるような派手な格好をしていたわけでもない。これらの加害者は単に犯罪を犯す機会があったからそれを悪用したに過ぎないのだ。
しかし、被害にあったことを女性達が通告しないので、経営者側は特に編集長が男性だったりすると、女性におおいかかる戦地での危険性を充分に理解できないことが多い。
例えば、1990年代にモスクワで若い女性記者がロシア兵たちに誘拐され集団強姦された事件は内輪では誰もが知っていることだったが、事件が事件だっただけに仲間内ですら同情の手を差し伸べることが出来なかったと言う。
またマットロフ自身も1995年にアンゴラの空港で同僚の女性記者二人で地元警察官から銃を向けられ、仲間と「楽しい事をしよう」と脅かされたことがあった。結局脅しだけで何も起きなかったので、彼女も同僚も編集者に報告しなかったという。「何も起きなかったんだし、いまさら報告したってしょうがないわ。」と思ったからだそうだ。
問題なのは、記者達があまりにも沈黙を守るため、海外特派員の安全項目にセクハラや強姦への対策といった項目が全くないことにあるとマットロフ女史は書く。予防注射だの、手荷物の手引きだと色々な項目がある割には、女性の身を守るための犯罪予防対策や犯罪の被害にあった際の心構えなど、なにひとつアドバイスがないという。男女同権がこれだけ言われるアメリカで、しかも時代の先端を行くジャーナリスト達の間でこんなに女性の安全が無視されているとは驚くかぎりである。
今回ローガン記者が自分の被害を公開したことで、新聞社やテレビ局など女性特派員を戦地へ送り込む経営者側からも、もっと女性の安全を守る対策を取ってくれるようになって欲しいと思う。また、ベテラン女性記者たちは、仲間同士どのような場所でどのような危険が待っているか、そんな時はどう対処すべきなのかといった自衛対策の情報交換なども行ってほしい。そして被害にあった際にはお互い相談にのってあげられるような組織も作っておくべきだと思う。
戦地でローガン記者のように群衆に囲まれてしまったら、どんなに注意していても被害は避けられなかったかもしれない。だがどんなに友好的に見える人々でも、自分がか弱い女性であり外国人なのだという認識で常に気をつけていれば、被害は最小限で抑えることが出来るかもしれない。海外特派員という仕事は危険がつきものだ。男でも危険な仕事だ。ましてや女なら、さらなる注意が必要だろう。少なくとも最低限の予防策くらいは特派員マニュアルに書かれてしかるべきだ。
フェミニストの皆さんは、スラットマーチなんてやってる暇があったら、こういうところに注意を払うべきなのでは?
May 8, 2011, 現時間 9:57 PM
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March 5, 2011
何故団体交渉はいけないのか?
ウィスコン州の労働組合の団体交渉権を規制する法案はいまだに民主党議員が他州に逃げ隠れして投票に参加しないので、法律が宙ぶらりんになっているなか、オハイオ州で同様の法案が意外と簡単に州上院議会を通過した。このオハイオ州の法案が法律として施行されるようになれば、ウィスコンシン州の17万5千人より倍以上も多い35万人の組合員に影響を与えることになる。オハイオ州のJohn Kasich知事も共和党。
「これは納税者との労働組合の不均衡をただし、機能させるための大切な第一歩です。」とオハイオ知事。
さて、この団体交渉権 "Collective Barganing"とは一体何か。そして何故それが経済難を抱える諸州で問題にされているのか考えてみよう。
先ず、団体交渉とは何か? これは要するに経営者と労働者が個々に労働条件や賃金を交渉するのではなく、労働者が労働組合という団体を通じてひとつの団体として経営者と交渉するやり方だ。19世紀後半から20世紀初期の労働者は過酷で危険な労働条件で働かされていた。日本でもああ野麦峠などでも描写されているように、当時の労働者は経営者に対して労働条件の向上を求めるなどという発言権はほとんどなかった。
アメリカでは危険な炭鉱の落盤で何百人という労働者が生き埋めになったり、シャツ工場の火事で一度に何百人という女工が焼け死んだ事件(工員がさぼらないようにと出口に外から鍵がかけられていた)などがあり、職場の安全状況を向上させる動きが出た。当時の労働者は皆若く教養もなかったし、現在と違って貧富の差も激しかった。家族経営の中小企業ならばともかく、大企業においては、一個人の工員が経営者と個人的に労働条件や賃金の交渉など、なかなか出来なかったのである。
そういう状態にあれば、労働者が一体となって組合を作り、団体として経営者と交渉するというのも理屈にあうし、効率がいい。よって私は労働組合の発足や初期の役割について否定する気はない。だが、すでに初期の段階から団体交渉が含む問題は明らかだった。1930年代ごろからすでに組合ボスたちの腐敗は悪名高い。現在も大手の組合ボスたちの給料は10万から50万ドルだそうだ。
現在における団体交渉の弊害について、下記のような就職活動者を考えてみよう。
学士を持つAは若く未婚。応募した会社に数年勤めたあとは一旦社会人を止めて修士の資格をとるべく大学にもどるつもりだとしよう。長年勤める気はないので、62歳過ぎなければもらえない年金とか、健康だから健康保険なども特に必要ないと思ってる。後で数年間無収入になるので今のうちに稼ぎたいから多少の残業などなんとも思わない。特に休暇などなくてもいいと思ってる。
もう一人は前の会社をリストラされた中年で子持ちのB。あと10年で定年。いまさら転職の気持ちなどさらさらない。この会社でぎりぎりまで働いて引退するつもり。上の子はそろそろ高校受験。下の子はまだ小学生で病気がち。Bにとって家族ぐるみの健康保険は非情に大事。給料からかなり引かれても仕方ない。家族と過ごす時間が大事だし奥さんとセカンドハネムーンにも行きたいので、長期で取れる休暇は必要不可欠。歳が歳なのであまり残業が多いと体がもたない。
AとBの二人では仕事に求めるものが全く違う。自由市場に任せるならば、AもBも個人的に自分にあった条件で雇用主と交渉し、Aならば保険や年金などのベネフィットはほとんどいらないからその分給料をあげてくれとか交渉することができるし、Bならば基本給料は低くてもいいから年金が高く質のいい健康保険がついてくる条件を求めるだろう。
ところが、労働組合が団体交渉をすると、もしAとBが同じ職種の同じレベルの仕事に応募した場合、二人が受け取る条件は全く同じになる。それでAは欲しくもないのに年金や保険料を給料から差し引かれ、Bは身体がもたないのに長時間の就労を余技無くされる可能性がでる。組合は個人の能力とか必要性とかを全く考慮に入れないからだ。
これは実際にある組合が要求した労働条件なのだが、一日に8時間以上働いた場合は残業手当を払わなければいけない。それはそれでいいのだが、例えば前の日に4時間しかはたらかなかったので、今日は12時間で埋めあわせをする、という融通が利かない。それで、病気がちの子供を病院につれていくためにBが月曜に早引けして火曜日にその埋め合わせ残業をするといったことは簡単に出来ない。あらかじめ、週に40時間以上働かない限り残業はなくてもいい、日によって早い日もあれば遅い日もあるという融通の効くスケジュールをBが経営者と交渉して決めることは不可能なのである。
また、経営者側も、Aのほうが仕事が出来るのでBには辞めてもらってBの給料を上げよう、などと勝手な判断は出来ない。ここでも労働組合が口を出してくる。どういう条件なら従業員を辞めさせることが出来るのか非情に細かい項目があり、公務員の場合、単に仕事が出来ないというだけでは先ず辞めさせられないのが現実。
アメリカの公立学校の質の低さは悪名高い。これは決して、アメリカに質のいい教師が居ないという意味ではなく、質のいい教師も悪い教師も同じように扱われるし、教師自身の定期的な学力テストや生徒のテストの点で教師の昇給を考えるなどといったことは、いくら校長がやりたくても組合が承知しない。公立学校の教師を辞めさせることは大変なことで、生徒に猥褻行為をした教師ですら有給のまま自宅謹慎で何年も辞めさせられないというひどい状態が起きているのだ。
特にひどいのは公立学校の用務員。ある学校区では組合が用務員は床を一週間に一度しか拭かなくてもいいという労働条件を通させた。これではカフェテリアで子供がスープをこぼしても、用務員は床を掃除しなくてもいいということになる。もっとも公立学校の用務員は何年も学校になど足を踏み入れたことがないという人も多く、しかも給料は年間10万ドルとかいう法外な金額だったりする。つまり、用務員とはたんなるタイトルであって本当の職業ではない。これは地方政治家に多く献金した政治活動家の家族に与えられる褒美のようなものになってることも多い。
それでも組合への加入が個人的な選択によるものであるならばそれでいい。上記のAのように自分には能力があるから他人に交渉など頼む必要はないと思っている人なら、わざわざ会費を払って組合に参加する必要はないだろう。だが、公務員の場合、多くの州において組合加入は強制的である。よしんば加盟しなくても、給料から会費を天引きされるのは普通で、厳密的にはこれは違法なのだが、組合とべたべたのオバマ政権は、この労組の違法行為を見てみぬ振りだ。
ウィスコンシンのウォーカー知事が辞めさせようとしていることのひとつに、この強制加入の禁止だ。労働組合は会費を政治運動に使っている。しかも95%の組合が民主党のみに献金しているのだ。よしんば労働者が共和党支持者で、民主党政策に大反対だったとしても、彼の給料から強制的に差し引かれた会費は直接民主党政治家の懐に入ってしまうのである。こんな理不尽なことが多くの州で長年つづけられてきたのである。
ウォカー知事や他の共和党知事は、こうした労働組合の身勝手な独裁政策を辞めさせようとしているのだ。彼らと民主党政治家たちとの癒着により、州公務員の給料や年金は民間企業の従業員の倍以上になっているという。傾く州財政のなかで、何故民間の納税者が公務員が自分らよりずっといい条件で働くために犠牲を払って税金を負担しなければならないのか、考えただけでも不公平である。
これはまさに、党メンバーだけが贅沢三昧をしていた共産主義国家の体制と全く同じだ。自由市場に反する社会主義だ。
最近の労働組合員たちのデモを見ていると笑ってしまうのは、彼らはウォーカー知事のことを「独裁者だ」とかリビアのカダーフィやエジプトのムバラクと同じだとか言っている。だが、実際に暴力で自分らの意志を通そうとしているのは組合のほうだ。ウィスコンシンでは共和党の議員が労組の暴力団員に囲まれてかなり危ない状態になった。
また、デモ中の組合メンバーにクレームをつけたティーパーティーのメンバーが組合暴力団員から暴行を受けたにも関わらず、警察官組合のメンバーである警察官は反組合の市民を守ろうとしなかった事件なども起きている。
アリゾナで民主党議員の集会が狂人の乱射でめちゃくちゃにされたときは、あれほどサラ・ペイリンやティーパーティーを、暴力をあおっているとして攻撃していた民主党やリベラルメディアは、こうした左翼側の組合やその支持者たちの暴力的な言葉遣いどころか実際の暴力行為すら批判もせず黙認し続けている。
労働組合べったりのオバマ大統領などは、完全に組合に肩入れしている。
通信業労働者(CWA)の電話会議に出席したヒルダ・ソリス労働省長官は、労働組合の抵抗を「誇りに思う」とし、「戦い続けよう」と励ましの声を送った。
政権が明らかに労働組合の味方をしていることに気をよくしたのはCWAの会長。「(長官の言葉は)歴史的な言葉です。政権の人員があきらかに私たちの味方をしてくれている。これは大統領の言葉であることを忘れてはなりません。」
まさしくその通りだ。大統領自らが団体交渉という完全な社会主義を支持しているのだ。
困ったことに、アメリカ国民の多くが労働組合の団体交渉権を支持している。リベラルメディアの報道の仕方にもよるが、共和党知事や議員たちは、ここではっきりと民間の組合と公務員の組合の性質の違いをはっきりと納税者に説明し、共和党は決して労働者を敵に回そうとしているのではないことを明らかにしなければならない。
ウォーカー知事や他州の共和党知事たちが州公務員の労働組合と立ち向かっている理由は、公務員労組の力が増大することによって納税者の負担が高まり州財政が危機に追い込まれるのだ。共和党はそのことを市民に説明し、共和党こそが労働者の真の味方なのだとわかってもらうひつようがある。
そうでないとこの次の選挙でオバマはじめ民主党は、共和党は労働者の大敵だと、またまたプロパガンダを流すこと必定だからである。いまや労働組合こそが真の労働者の敵なのであり、特に公務員労働組合は納税者の敵である。高い税金を払いたくないのであれば、公務員組合の力を激減させることが大切だ。ウォーカー知事はじめ共和党政治家はそのことをよくよく有権者に説明してほしい。
March 5, 2011, 現時間 8:27 AM
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March 2, 2011
ララ・ローガンを襲った暴徒に対し裁きを呼びかける声に批判的なエジプト人たち
アメリカに長年住んでいて、今はカイロ住まいのエジプト人カリム・モーヒーさん31歳は、ホスミ・ムバラク大統領失脚を祝った狂気的な暴徒に襲われたララ・ローガン記者への暴力に抗議する集会を開こうとエジプトの同胞に呼びかけている。だが、この呼びかけに対し、集会に反対する人の声が高まっている。それというのも、実際にローガン記者がエジプト人の暴徒によって暴行を受けたという事件が本当かどうか疑わしいと考えるエジプト人が多くいるからだ。
ローガン記者への暴行事件を最初に取り上げたときに、アラビア語のメディアであるアルジェジーラは完全無視を決め込んだことは書いた。しかし当のCBS以外のアメリカのメディアや日本も含め他国のメディアは一斉にこの事件を取り上げたため、事件があったことを知らないのはアラビア語メディアのみにニュースを頼っているアラビア人だけかもしれない。
とはいうものの、あれだけあちこちで記者団が取材をして何台ものカメラがあったにも関わらず、ローガン記者への攻撃を撮影した映像はない。群集のなかで携帯電話で撮ったビデオがあるという噂はあるが、実際にそれを観たという人でそのビデオを公表できる人はいない。
それで、そんなひどいことが実際に起きたなら、アルジェジーラやアルアラビアが大々的に報道するはずで、それが起きていないのは事件そのものが起きていないのだと言い張るエジプト人も多くいる。
また、襲ったのは反ムバラクの群集ではなく、ムバラク派が大統領の失脚を怒ってアメリカ人記者を襲ったのではないかという意見も多く聞かれる。自分の同胞がそんなひどいことをしたなど信じたくないのが心情というものだろう。
モーヒーさんは、エジプト側からは公式な謝罪は一切なかったとして、抗議の集会を開きたいと意志を示している。
モーヒーさんは、海外生活をするエジプト出身者を対象にしたネットサイト、カイロスカラーズやフェイスブックなどでも、暴徒への裁きを求める記事を載せた。モーヒーさんの目的はララ・ローガン記者への攻撃を抗議することをきっかけに、エジプトで増えている女性虐待について人々の目を覚まさせたいというものだ。そしてエジプト政府と軍隊はローガン記者を襲った暴徒たちを裁くべきだと訴えた。
しかし集まったコメントは皆かなり冷ややかなものだった。
「セクハラに対して戦う団体を是非みたいとはおもうけれど、外人が襲われたということだけを強調するのはどうかとおもう。(略) 私たちは皆襲われているわ。どこにいても誰にでもおきることよ。エジプトだろうとどこだろうと男からセクハラを受けない女性なんていないわ。人生なんてそういうもんよ。変態はどこにでもいるわ。革命とは関係ないのよ」アーワ・アテフ・シャラビー(女性)
2008年に行われたエジプトの女性人権センター(ECWR)の調査によると、外国人女性の98%、そしてエジプト人女性の83%がエジプト人男性からセクハラを受けたと答えている。そして62%のエジプト人男性がセクハラをしたことがあると認めたが、そのうちの53%は女性に原因があると答えたという。
他の記事でも読んだのだが、エジプト人女性は外を歩いていて男性から痴漢行為をされるのは日常茶飯事だということだ。また、現場を取材していた別のアメリカ人女性記者も群集から臀部や胸部を触られるなどしたという。ただ、彼女の場合は日本の満員電車の痴漢行為程度のものだったようだが、一人の若者は彼女のお尻をかなり強く掴んだそうだ。普通なら彼女は怒って相手に抗議するところだが、状況が状況だっただけに、やたらな抗議はもっと攻撃をエスカレートされるかもしれないと思い無視したという。幸いこの女性記者への痴漢行為はその程度のものだったらしい。
集会に反対しているのはエジプト住まいのエジプト人だけではなく、海外にすむエジプト人からも、どうせ集会を開くならエジプトにおける女性虐待やセクハラに対して一般的に抗議すべきで、外国人記者の事件だけの焦点をあてるべきではないという声も聞かれる。
エジプトのフェミニスト団体は、モーヒーさんがこういう集会を主催するには適していない、もっと女性運動に長年関わってきた団体が主催すべきだと抗議している。もっともエジプトのフェミニスト団体ECWRは、そんな運動をする気配もなければ、ローガン記者への攻撃について何一つ批判的な声明を出していない。ま、フェミニストなんてのはどの国にでも単なる左翼でじっさいに女性の立場向上になんか興味がないので、エジプトも例外ではないのかもしれない。
また、女性虐待問題は今のようにエジプトが動乱状態にあるときに持ち出すような話題ではないという意見もあったが、モーヒーさんは、エジプトが既存の体制を覆そうとしている時こそ女性の人権を訴える絶好の機会であると主張する。「鉄は熱いうちに打て」である。
私もローガン記者への攻撃だけに焦点を当てるべきではないという意見には賛成だが、女性全般という言い方をすると人々の心のなかでは概念が広すぎてぴんとこないような気がする。一人の名前も顔もある女性への攻撃だからこそ、これは無視できないことなのだという実感が沸くのではないだろうか?
ローガン記者事件をきっかけとして、今後二度とこのようなことが起きないよう、暴徒を厳しく処罰すべきだと主張することは決して時間の無駄ではないと思う。
無視できないのは、イスラム教の国では、強姦された女性が鞭打ちの刑に処されるような掟もある。サウジアラビアではデート中に数人の暴徒の集団強姦された女性が鞭打ちの刑を言い渡され、不服であると提訴した女性弁護士が弁護士免許を剥奪されるという事件が数年前に起きてイスラム圏以外の国から強い批判を受けたことがある。
また、イランでは強姦された女性は淫乱女として下半身を埋められて投石処刑される決まりになっている。
エジプトはそこまでひどい国ではないが、それでもイスラム教の影響でかなりの男尊女卑が存在することは事実であり、従って女性虐待などさほどなんとも思わない男性が多いのだろう。
集会は4日に開かれるということだが、どのような集まりになるのか興味深い。
March 2, 2011, 現時間 8:53 PM
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December 30, 2010
主演男優はカムアウトすべきではない? 軍隊より保守的なハリウッド映画界
どうでもいいような芸能ニュースだと思って読んでいたら、おもしろい結末だったのでちょっと取り上げよう。イギリス男優のルーバード・エベレットが、最近BBCラジオのインタビューで、ハリウッド映画のコネ主義について批判した。映画界の重役達のお気に入りになると、才能がなくて何度不作に主演しても次から次へと主役につけるという話のなかで、ジェニファー・アニストンの例を上げた。
確かに彼女の出演する映画はどれもこれも似たようなロマンチックコメディばかりで、これといって印象に残るようなものはない。興行成績も今ひとつで、私もテレビや飛行機の機内映画にでもなっていなければ観る機会はほとんどない。
エベレット曰く、ハリウッドでスターになるのは、芸があるなしに関わらず、ハリウッド業界から気に入られているかどうかにかかっているのだそうだ。
もっともカカシから言わせれば、そんなことは今更エベレットに言われなくても明白だ。アニストンのみならず、リチャード・ギアとかケビン・コスナーとか、カリブの海賊でヒットが出る前のジョニー・デップとか、昔一つか二つヒットがあっただけで、ここ20年近くヒットらしい映画など全くないのに、次から次へと高予算の映画に主演している俳優が何人か居る。
こういう人たちに共通しているのは、大抵がバリバリのリベラルだということだ。ハリウッドの映画業界はもうここ何十年とリベラルに仕切られているから、ハリウッド俳優にとって保守派で共和党支持であることを認めるのは、同性愛者だとカムアウトするより命取りになる。仕事を失いたくなかったらリベラルのふりをするか、自分は政治には疎いから解らないという振りをしているのが懸命だ。
ところが、面白いことにエベレットはハリウッドはホモフォビア(同性愛恐怖症)だと言う。
エベレット自身は自分が同性愛者であることを1980年代後半に公表したが、その決断は自分の役者としてのキャリアに多大なる損害を与えたという。
「芸能界は異性愛者には理想的に合ってます。とても異性愛的なビジネスなんです。異性愛の男性たちによって牛耳られているし、権力の序列があるのです。」
エベレットは自分が同性愛者としてカムアウトして以来、ハリウッドでもイギリスでもその後1〜2本出演依頼があったきり、10年間ほとんど仕事が来なかったという。それで仕方なくヨーロッパへ移ったのだそうだ。エベレットのフィルモグラフィーを見る限り、結構毎年一本の割で映画やテレビ出演はしている。もっとも自分が期待していたような大作での主役ではないという意味ならそうかもしれない。
「ハリウッドはリベラルの振りをしていますが、本当は非常に保守的な世界なのです。」
私はこの「ハリウッドはリベラルの振りをしている」というところが非常に面白いと思った。往年の映画やテレビミニシリーズの大スターで、何年か前に同性愛嗜好を公認したリチャード・チェンバレンも主演男優はカムアウトしないほうがいいと語っている。
「役者が働いているということ自体が一種の奇跡ですからね。ほとんどの俳優はゲイではないわけですから、働いてる役者がわざわざ『自分がゲイだということを誰が知っていても構わない」なんて言うのは馬鹿げてますよ。特に主演男優タイプの人はね。(略)私個人としては主演タイプの男性のカムアウトはお薦め出来ません。」
我々保守派から言わせると、芸能界は同性愛者優遇主義があるような気がしていたが、内部にいるゲイの役者から言わせるとそうでもないらしい。最近の映画やテレビなどでは、あからさまなゲイのキャラクターが主役になっているものも少なくないので、芸能界はゲイに親好的に見えるが、それは表向きのことで、裏を返せばかなりのホモフォビアというわけ。
もっともアメリカの芸能界が偽善的なのは今に始まったことじゃない。女性へのセクハラなども、普通の企業は神経質なほど気を使っていて、特に軍隊などでは男性が密室で女性と二人っきりにならないようにという厳しい規則があり、どんなに音が煩くても部屋のドアを開けっ放しで話をしている男女を良く見かけるくらいだ。
ところが、ハリウッドではキャスティングカウチといって、女優が役をもらうためにディレクターと性交渉を持つなど当たり前のようにされているし、年齢差別だの人種差別だのごく当たり前に行われている。
(もっともゲイの多いファッション界では異性愛の男性が同性愛のデザイナーに媚びを売るなど普通らしいが、、)
ま、映画がある種の主役を求めていれば、その役割にイメージが合わない役者を使わないのは当たり前だから、そういった差別がいけないとは思わない。だが、エベレットが言うように、才能があるでもなく興行成績も悪い役者が、単にハリウッドの仲間内だというだけで仕事を得るのは自由競争の規則に反する。
私個人としては、俳優の性嗜好など知った事ではないので、特に隠す必要はないが、わざわざ公表すべきことだとも思わない。
サイレント映画の頃にノエル・カワードという劇作家で舞台俳優だった男性がいる。ルックスもよかったので後に映画にも主役男優として出演したりしていた。
彼がゲイであることは内輪では誰もが知っていた事なのだが、もうとっくに役者を引退していた1970年代になって、回りの人から何故カムアウトしないのかと聞かれた時に、今でも自分をヒーローとして胸に秘めているおばあちゃんたちの夢を壊したくないからだ、と答えたと言う。役者はイメージが第一。ファンの夢が壊れるような私生活は隠しておいた方がいいと思ったのだろう。
実は私もカワードの意見に賛成だ。例えば、キアヌ・リーブスとかジョディ・フォスターとか、同性愛者だろうという噂は昔からあるが、自分からゲイだと認めない限り、ファンはリーディングマンやレイディという幻想を保つことが出来る。公私ともに認めるゲイの役者が異性とラブシーンをやったら、見ている方としてはかなり幻滅。(例えばジョージ・クルーニーがゲイだとか言ったらカカシは許さない。)
同時に私はその俳優がリベラルか保守派かということも特に興味がない。保守派なら別にいいが、リベラルだったら知りたくないというのが本音だ。才能もあり非常に好感の持てる俳優がサラ・ペイリンをこき下ろしたりすると完全に幻滅する。これはゲイであるより深刻だけどね。
December 30, 2010, 現時間 11:25 AM
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December 23, 2010
米軍隊、遂に同性愛者の勤務を公に認める!
クリントン大統領がパパブッシュに対抗して大統領選に出馬した時、大々的に公約しておきながら、いざ大統領になった途端に回りの圧力に負けてポイッと放り出してしまったのが、この同性愛者の軍隊勤務合法化だった。クリントンは根性がなかったので、合法でも非合法でもないどっちつかずの「聞かない、言わない」という黙認法で妥協してしまった。以来この話は誰も触ることの出来ないタブーとなっていた。
それが今回共和党の反対を押し切って、レイムダック期間を利用し、オバマと民主党は強攻に既存法を撤回し、同性愛者たちは晴れて公に軍隊に勤務することが可能となった。以下毎日新聞より。
米国:同性愛公言者、軍隊に門戸 「黙認政策」を廃止 大統領公約、法案成立へ
【ワシントン古本陽荘】米上院(定数100)は18日、オバマ米大統領が公約として掲げてきた同性愛者と公言する人の軍への入隊を認める法案を採決し、賛成65、反対31で可決した。下院でもすでに可決されており、大統領の署名を経て成立する。
93年に導入された、同性愛に関し「ドント・アスク、ドント・テル」(聞くな、言うな)を原則とする「黙認政策」を廃止するもので、17年ぶりの改革となる。黙認政策の下、約1万3000人の同性愛者が除隊を余儀なくされており、オバマ大統領は就任前から、同性愛者の軍入隊制限の撤廃を公約に掲げてきた。
大統領は法案可決後、「米国の国家安全保障をむしばむ政策を終わらせるための歴史的な一歩だ」とした声明を発表した。今後は、国防総省が関連規則の変更に関する計画を策定するが、同省は新規則の周知徹底や教育に時間を要するとの姿勢を示しており、実際の実施時期がいつになるかは不透明だ。
海兵隊トップのエイモス司令官は、同性愛者の受け入れに反対する姿勢を明確にしており、実施までには紆余(うよ)曲折が予想される。
ここではっきり言わせてもらおう。私はオバマ王は大嫌いである。彼のファシスト風行政には全く賛同できない。レイムダックセッションで、野党の反対を押し切っての強攻な手段も感心しない。とはいえ、風見鶏のクリントンがいとも簡単に投げ出した法律を、後でかなりの仕返しが期待できるというのに強攻に押し通したオバマの勇気は讃える価値があると思う。
特に、私は以前から同性愛者が合法に軍隊に勤務することには賛成だった。実を言うとクリントンが大統領候補だった時、もしカカシに投票権があったならそれだけでクリントンに投票するつもりだったくらいなのだ。
この件についてはカカシも過去にいくつかエントリーを書いている。
どうして左翼は同性結婚には熱いのに、ゲイ軍人には冷たいのか?
民主党議員、同性愛者の軍隊勤務禁止法撤回を拒む
『ゲイを軍隊に入隊させろだ? 冗談じゃねえよ』
黒人を軍隊で白人の兵士と混合させた時も、女性兵士を男性と一緒に軍艦に乗せたりした時にも色々と反対はあった。だが、いざ隣り合わせで一緒に仕事をしていると、黒人だろうと女性だろうと大した差はない、ごく普通の軍人同士だということが解って来た。
特に同性愛者は、公にされていなかっただけで、これまでにもずっと勤務してきたのだから、公になったからといって何が変わるというものでもない。ゲイ男性と一緒にシャワーを浴びるのは嫌だとかいうくだらない言い訳は、仕事が忙しくなってくればどうでもいいことだ。
だいたいだ、二人並んでシャワーが浴びられるほど広いシャワー室があるような贅沢なところで仕事をしてる人間が文句言うな!私なんざ誰も居ない変な時間を見計らって20人部屋にひとつしかないシャワーを浴びてるんだぞ!
とにかく、私は公平な人間なので、評価すべきことはきちんと評価したい。
オバマ大統領、あなたの勇気に敬意を表する。公約を守ってくれてありがとう!
December 23, 2010, 現時間 12:14 PM
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September 26, 2010
イスラム諸国の横暴を思わせる中国の傲慢な態度
今回の中国漁船船長の釈放については、ちょうど先週一週間ほど日本に帰省して居たので、実家の父とも話をすることが出来た。父は「これは非常にまずい外交だ」と言っていた。
那覇地検が、尖閣諸島周辺の日本領海での巡視船への衝突事件で逮捕、送検されていた中国人船長を処分保留で釈放する決定を公表したことに24日、与党・民主党からも失望や疑問の声が相次いだ。党代表選後、内閣支持率の上昇に勢いを得た菅首相だが、中国の圧力に屈服した格好の今回の決定は、今後の政権運営に大きな影響を与えそうだ。菅直人首相の求心力低下にもつながり、民主党代表選で首相に敗れたばかりの小沢一郎元幹事長の「復権」を早めることになるかもしれない。
日本は三権分立社会であるから、検察の判断で釈放が決められたのであれば、議会はとやかく口を出せないというのは本当だが、本当に検察側独自の判断だったのかといえばそれはかなり疑わしい。かえって管政権は中国の圧力に屈服して検察に圧力をかけ、三権分立を言い訳に責任逃れをしているように見える。
船長釈放の交換条件として現在逮捕されているフジタ社員たちの釈放を確保できたというならまだしも、理不尽な拘束をされた人たちへの面会さえも許されていない。これでは中国の完全勝利とみられても仕方ないだろう。
中国の日本への態度を観ていると、イスラム諸国による西洋諸国への態度と酷似するものがあると感じる。それは自分らの悪行は棚に上げて、他人から多少でも自分らに都合の悪い行為をされるとそれがあたかも人民や文化全体への攻撃であるかのように大騒ぎする点である。
フジタの件のみならず、中国では日本市民を含む外国人が大した根拠もないのに、ちょくちょくスパイの疑いで逮捕されている。これらの人々には弁護士が面会することもままならず、事情がわからないまま長年の拘束が続けられているのだ。
また、中国では未だに人身売買は公然と行われており、北朝鮮からの脱北者女性のほとんどが中国で売春奴隷として売買されていることは周知の事実。
そういう国が、やたらと日本の占領時代の話を持ち出して人権問題を批判したりすると、いい加減にしろよ、と言いたくなる。日本の過去に中国市民を虐待した歴史がないとは言わないが、日本はすでにそういう文化を悔い改め民主国家として生まれ変わったのと比べて、中国は昔からの野蛮な弾圧的政治体制を全く改めず、未だに自国民や外国人を弾圧しているではないか。
問題なのはそういう野蛮な国の横暴に日本がやたらに屈服してしまうという点だ。こういう国に善意など通用しない。こういう国との外交であるのは力関係だけだ。
イスラム教徒でもそうだが、奴らは自分らが崇高な存在だと信じている。他の人間は下位なのであり、自分らが特別扱いされるのは当然のことなのだと思い込んでいる。だからアメリカで聖廟が建てられるのは当たり前の権利だが、サウジアラビアでキリスト教会建設など断固許せない行為という理屈になる。
中国にしたって同じことだ。
自分らによる人権迫害や市民虐待は当たり前。中国民族こそが崇高な民族なのであり、他民族は自分らを敬い従うべきだと考えているから、日本が過去の「過ち」を謝るのは当たり前、賠償金を払うのは当たり前、船長釈放は当たり前、なのである。
そんな当たり前のことをして中国がその行為に感謝などする訳がない。
日本が何をしようと、中国政府から善意など絶対に期待できないのだ。もういい加減にそのことに日本政府は気付き、中国の態度にいちいち怯えるのは止めてほしい。
中国から日本が敬意を評されることがあるとしたら、それは日本は中国の脅しには怯まないという強攻な態度しかない
無論強攻な態度は実際の軍事力によって支えられなければならない。アメリカからの敵国に対する脅しが多少でも効くのは、アメリカの軍事力と、いざとなったら軍事行使もいとわないという意志が後ろ盾があるからだ。
そのアメリカでさえ、オバマのような弱体が大統領になった途端、イランや北朝鮮などの敵国から舐められるようになった。野蛮国に対していかに闘う意志が大切かという証拠である。
中国との貿易関係を深めることは大切だ。中国人が日本に多く来る事はかまわないと思う。多くの中国人に自由な日本の良さを理解してもらうことで、彼らが自国政府の独裁性に気づいてくれれば、これは決して悪い事ではない。
だが、中国からやたらな軍事行使をされないように、日本もそれなりの武装をして、いざと言う時にはそれを使う意志があるという態度を示さなければならない。私は何も日本に中国と戦争しろと言っているのではない。中国からの横暴に立ち向かうにはそれなりの準備が必要だと言っているのだ。
September 26, 2010, 現時間 9:15 AM
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August 9, 2010
ゲイ裁判官の陰謀!州民の意志完全無視して一夫一婦制は違憲と判定
今月四日(8/4/10)、連邦地裁は2008年11月にカリフォルニア州の住民が圧倒的多数で可決した、結婚は一夫一婦制のみという法律「提案8号」が違憲であると判定を下した。下記の記事が比較的詳しく書かれているので一部掲載する。
カリフォルニアの同性婚禁止は違憲 米連邦地裁が初判断 2010.8.5 10:51
【ワシントン=犬塚陽介】同性婚を禁止した米カリフォルニア州の決定は法の下の平等を保障する米国憲法に違反するとして、同性カップル2組が起こした訴訟で、サンフランシスコ連邦地裁は4日、同性婚の禁止は「道徳観や宗教観のみを根拠にしている」と、法的根拠がないとの判断を示し、決定を違憲とする判決を下した。
米国世論を二分する同性婚問題で、連邦裁判所が判断を示したのは初めて。反対派は連邦第9巡回控訴裁判所に控訴する方針で、訴訟が最終的に連邦最高裁までもつれる可能性も強まっている。
訴訟の争点となったのは、2008年11月にカリフォルニア州の住民投票で可決され、州最高裁も追認した同性婚を違法とする「提案8号」の合法性。ウォーカー裁判長は判決で、提案8号は同性愛者を特別視した上で「不公平な待遇を合法化している」と指摘し、同性愛者のみ結婚を許さないという合理的な根拠はないとした。
ウォーカー裁判官の判定には色々と問題点が多い。
先ず第一に、提案8号は同性婚を特別視しているわけではない。この法律は一夫多妻婚も認めていないし、近親婚や既婚者との結婚も認めていない。提案8号は同性婚を禁止する法律ではなく、結婚の定義を一夫一婦制に限るとしているもので、とりたてて同性婚のみに不公平な法律ではないのである。
また、ウォーカー裁判官は裁判中には明らかにしていなかったが、自身が同性愛者であり、同性婚促進運動家である。本来ならばこのような偏向に満ちた裁判官が判定すべきではないのにも関わらず、ウォーカー裁判官は自分の偏向を隠して判定にあたったのである。これだけでもこの判定は無効にしてもいいくらいだ。
提案8号では同性同士の結婚は認められないが、同性愛者が結婚することを認めないわけではない。つまり、同性愛嗜好の人が異性と結婚する分には全く問題ないのだ。つまり、ウォーカー裁判官がいうように「同性愛者のみ結婚を許さないという」法律ではない。
この裁判は連邦最高裁まで控訴されるだろうから、同性愛者のみなさんは、あまり急いで結婚などに及ばない方が懸命と思われる。
私が同性婚に反対する理由は以前から色々書いているが、最近の関連記事は下記。
本当は同性結婚じゃないんだよね、同性愛活動家の真の目的
だから、なんで同性結婚がそんなに大切なんだよ?
結婚の定義における性別対人種の違い
同性結婚でステータスを求めるゲイ達
差別意識は個人主義か全体主義かで違ってくる
同性結婚は文明社会を破壊する
ジェンダーフリーは自由社会を破壊する
同性結婚は文明社会を破壊する、その2
August 9, 2010, 現時間 3:17 PM
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May 16, 2010
アメリカ小児科医協会、女児の陰部切除という野蛮な因習を認める
アメリカに移住したイスラム教徒が、女児を祖国に送り返してアメリカでは禁止されている陰部切除という野蛮な処置を受けさせているということが問題になっているが、何とアメリカ小児科医協会は、この因習を止めさせるためにアメリカ国内で女児の割礼を許可すべきだという見解を発表した。
ちょっと待てよ。それは話が逆さまではないか?
この因習について良くご存知のない方のために説明するが、女児の割礼は男児の医学的処置とは全く違う。女児の陰部のかなりの部分を切り取るという、医学とは無関係で野蛮な伝統に基づく非常な苦痛を伴う危険な処置である。
アフリカやアジアや中東のイスラム圏諸国で広く行われているが、大抵の場合、不衛生な場所で麻酔も使わず、医師でもない家族や近所の女たちが女児を何人かで羽交い締めにしてカミソリを使って非常に敏感な部分を切り取るというものすごく野蛮な行為である。中国で昔行われていた纏足などと並んで女性への虐待行為である。
不衛生な場所でこのような大掛かりな切除を行えば、傷口が化膿し尿道症並び種々の病状の原因となり、不妊症になったり、時には死に至ることもある。またよしんば完治したとしても、心の傷はそのまま残る。クリトリスを完全切除するのだから、大人になってからの性行為にも多いに支障をもたらす。
さて、問題なのは、イスラム圏諸国から移住してきた移民たちが、移住先の文明国にもこのような因習を持ち込んでくるということである。本来ならば、こうした行為への適切な処置は、受け入れ国が移民に対して、そのような行為はこの国では違法であり、幼児虐待として見なされ法によって罰せられるということを説明するところからはじまり、それでも実際にそのような行為を行った場合には断固たる処罰をすることである。文明国ではそのような野蛮な行為は断固認めないという姿勢をはっきりさせるのが本筋だ。
移民達はそうやって新しい国の習慣を学び、最初は抵抗しても二代目三代目となるうちに、出身国ではなく移住先の国の習慣を受け入れるようになるのだ。他のどの国からの移民も、そうやってアメリカ人になってきたのだ。
それを何故、女児虐待に限って、文明国のアメリカで許可しようなどというのだ?
アメリカ小児科医協会のいい分はこうだ。このような習慣は国内で禁止しても移民たちは女児を外国に送り返して危険な処置をうけてしまう。だから、アメリカ国内で医師による安全な切除を許可することによって、そのような危険を防ごうというものである。
アメリカンアカデミーオブペデイアトリックスの声明文によると、彼らのいう安全な措置というのは、クリトリス全面切除という危険なものではなく、陰部の皮をほんの少し切るだけというピアスほどの危険も伴わない措置だという。移民達の慣習や伝統に対して同情的な理解を示すと言う意味で、医学的には害にも益にもならない儀式上の処置を許可するという、いわゆる妥協案だというのだ。
確かに、医師による処置であれば医学的な問題は解決するかもしれない。だが、それでは女児及び女性虐待を許可するという文化的な問題が解決していない。
中国での纏足にしてもアフリカやイスラム圏の陰部切除にしても、その根底には女性の独立性を妨げるという女性虐待の意識がある。
中国で纏足が行われたのは、足の小さい女性は美しいとされたからだという表向きの理由とともに、そんな足では満足に動くこともできず、嫌な相手と結婚させられても逃げることが出来ないという、女性を閉じ込めておくという効果があった。
女児の陰部切除は、女性のヒステリーな気性を緩和するためという表向きの理由の裏に、性的に敏感な部分を切り取る事によって、女性が性行為によって快楽を得られないようにし、夫以外の男性と性交を結びたいという欲望を防ごうというのが本当の理由だ。
なぜ文明国が女性虐待の伝統や宗教を持つ野蛮な文化に迎合する必要があるのだ? そのような文化に対して敏感であるべきという考えそのものに私は非常な抵抗を覚える。
この事に関してはBare Naked Islamというブログに色々な人たちの意見が載っている。
そのなかでも説得力があると思われるのは、一部でも陰部切除を合法にしてしまえば、これまでアメリカの法律に守られて親族からの圧力に耐えて娘の陰部切除を行わないでいた母親たちが、それを行わない口実を失ってしまうという理屈だ。
だいたい全面的に悪い行為を妥協として一部だけ認めるという理屈がおかしいではないか。
アフリカやイスラム圏諸国では未だに奴隷制度が伝統的に残っているが、こうした文化に理解を示すために、妥協として移民には一部奴隷制度を認めるというのと変わりがない。
そういうことを異文化への理解を示すとかいう理由で多少でも妥協していけば、そのうち、娘の貞操を守るという理由で野蛮国のあちこちで行われている名誉殺人も、妥協として娘を殺すのは良くないが、鞭打ちなどの拷問程度なら許可するとかいうことになりかねない。
陰部切除は女性虐待の象徴である。そのような悪習は形の上だけでも文明国に存在してはいけないのだ。アメリカは男女同権の国である。女性虐待の象徴を一部たりとも認めるべきではない。
これに関してはEuality Nowなどのフェミスト団体も断固反対している。
そういう意味で今回の小児科医協会の声明は、医師としての気持ちは理解できるが、解決法への方向を見間違えていると言える。
May 16, 2010, 現時間 10:10 AM
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April 9, 2010
左翼フェミニスト?そんなの常識じゃん!
この深町さんて人のサイトにコメントしたかったのだが、なぜか『はてな』は私のメールアドレスを認めてくれないので登録できないでいる。
で、深町さんのエントリーを読んでいて面白いなと思ったのは、彼が私の意見よりも、私の文章のスタイルに苛立ちを覚えたということである。
特に私の「〜と反対に問いたくなるのは私だけだろうか?」という部分にかなり引っかかったらしい。しかし、深町さんが「個人的にイラッと」きた部分の話をする前に、私が苛立った部分からコメントしよう。
早々に「左翼のフェミニスト」とレッテルを貼り、「おれは議論なんかするつもりはなく、ただカラオケがしたいんだ」という意思表示が示される。ご本人も「議論の余地はない」と書いてらっしゃるのだが……。
私が討論の相手にすぐレッテルを貼りたがるという批判は、以前に掲示板で議論していた頃から良く言われたことだ。しかし、私のように長年左右討論をしているものから言わせたら、話している相手が左翼か右翼かということは簡単に解る。左翼フェミニストともさんざんやりあったことがあるから、彼らのやり方はすぐに気がつく。「防犯は個人責任ではなく政府の責任である。」はどう見ても左翼思想だし、特に「自己責任を問うのは犠牲者を責める行為である。黙れ」と言って討論相手を加害者扱いして黙らせるやり方は左翼フェミニストの常套手段。こういう相手には左翼フェニストのレッテルがぴったりはまるのだ。
だが私はこういった左翼連中と違って意見の違う人間を黙らせようなどとはしない。相手に左翼というレッテルを貼ったからといって、だからそれで議論は終わったなどと片付けたりもしない。深町さんの文章を読んでいるといかにも私がそう書いたように解釈出来るので原文を添付すると、、、
女性が強姦魔から自衛する行為を促すのは女性差別なのかという問題が議論されていた話はしたが、、、思った通り、(曾野綾子さんの原文は)左翼のフェミニストたちが大騒ぎするほどの内容ではない、過激な左翼フェミニストでなければ常識と取れる内容だった。(略)曾野さんが、男尊女卑の最たるアラブの保守的な国の慣習を持ち出すのは不適当だと思うが、夜中に危険な場所で一人歩きをすべきではないというのは常識すぎて議論の余地はない。
さて、それでは深町さんが苛立った部分はというと、、
しかしそのわりには「常識」とか「私だけだろうか?(議論の余地はないと仰っているにもかかわらず)」という個人的にイラッとくる言葉があった。レッテル貼りと「常識」「私だけだろうか?」たったひとつのエントリにこうもイラつきワードを盛り込むってなかなかできないなあと感心すらしてしまった。また書き手自身が自分の意見をたいして信じていないのだとも。
「私だけだろうか?」や、それに政治家や新聞の論説委員が使いたがる「その考えはいかがなものか」というフレーズ。森達也氏がかつて著書でさんざん述べていたことではあるが、「私」という主語をやすやすと放棄して、姿の見えない不特定多数のなかに埋没しようとするいかがわしい言葉である。たいがい力強い主張の後に用いられることが多い。「郵政民営化には絶対反対……と思うのは私だけ?」といった感じ。自分の主張の重さに耐えきれない弱さが思わず露呈してしまうというか。
私はこれを読んでいて、日本語にはレトリカルクエッション(rhetorical question《文法》[U]修辞疑問, 反語;[C]修辞疑問文, 反語文)という文章スタイルは存在しないのだろうかと不思議に思ってしまった。
ここでいう私の「〜と思うのは私だけだろうか?」という文章は、文法的には疑問形になっているが、実は疑問文ではなく、「〜と思うのは私だけではない!」という断固たる断定文である。これは自分の意見に不安を持って相手に問いかけている文章ではない。
例えば、「政治家による汚職は許されるべきであろうか?」という文章は、文法的には疑問文であるが、明らかに「許されるべきではない」という意味であり、疑問文にすることで断定した書き方よりも印象深い効果を与えようとしている単なるスタイルである。別に読者をだまくらかそうというような「いかがわしい言葉」使いなどではない。
私が議論の余地がないと言ったのは曾野さんのエッセーの内容についてだ。だが、私が議論しているのは曾野さんの書いていることをヒステリックに批判している左翼フェミニストについてである。彼女達には「強姦犠牲者を二次被害から守る」という表向きとは違った、もっと個人の力を弱めて政府の力を強めようとする社会主義的な、それこそいかがわしい思想が伺われるということだ。それについては、もっと解りやすく説明しているので、深町さんにも是非このエントリー「左翼リベラルが自衛の自己責任を恐れる本当の理由」を読んでいただきたいものだ。
さて次に深町さんがひっかかったのが「常識」という言葉。
「常識」というのも謎の言葉である。「そんなのは常識!」などとあらゆる場で登場するけれど、あるときは自分の説明不足を不特定多数の誰かにすがろうとして、またあるときはやはり自分の主張の重さや尖りに我慢できないときに用いられる。「温暖化なんて嘘……と思うのは私だけ? えーと……それが今の常識!」というような。「おれ、なんだか過激な主張したけど心配だなあ。リスクを回避したいなあ。いっちょ手を打って置くか」という打算と臆病が入り混じったような思考と、つねに主語を「私」ではなく「私たち」「みんな」にしていないと不安で仕方がないという自分レスな人にとってはきわめて便利なフレーズだ。「あいつ死ねばいいのに。ホント、マジでみんな思ってる」と、なにかにつけて「みんな」をつけなければ安心できない人種だ。
個人の防犯は自己責任という考えは、個人主義の保守派思想を持った人なら常識だと思うだけだ。それが過激な意見に聞こえる深町さんは多分左翼リベラル思想の持ち主だろう。
この曖昧&主語のすり替え言葉がいつごろから広まったのだろう。(略)
大人になるにつれ、なかなか何事も断定的な物言いなどできなくなってくる。曖昧なところに落ち着かざるを得なくなる例のほうが圧倒的に多い。(略)しかし他の言葉がいかにぼんやりとしていても、発言の主だけははっきりさせておきたいという自覚ぐらいはある。「そんなのは常識だ!」と言われても、どこの誰の常識なんだとむかっ腹を立てるようにしている。
では「温暖化は常識だ今更議論の余地はない」と言い張って、どんどん経費のかかる政治政策を施行している政府に対して、「いったいどこの誰の常識なんだ?」と深町さんは腹を立てたのだろうか?
もし、右翼や保守の常識だけが受け入れられないんじゃ片手落ちだ。しかし左翼リベラルの常識でも疑う余地ありとするならそれはそれでいいだろう。他人の言うことを鵜呑みにすべきではないという意見には異論はない。
ところで、私が非常に嫌な気持ちになったのはこの部分。
新聞の社説やブログで見かける「私だけであろうか」というフレーズ。「おれ信念あり」「おれ逞しい」と言いたげな人ほど自覚もなくよく使ってる。「共感しろオラ。お前も思うよな?」と、力強く主張しながら数を恃むというヤンキー的なもたれ方というか。
ここでいう深町さんの「ヤンキー」というのは誰をさすのかな? 厳密的には「ヤンキー」とはアメリカ南部の人々が北部の人々に対して使った侮蔑的な差別用語。アメリカ人一般をさすなら「ヤンクス」となる。アメリカには人種が多様であるように思想もまた多様である。それをひとくくりにして、「ヤンキー的」という表現は感心しないね。で、この「感心しない」という動詞の主語は「私」カカシである。念のため。
April 9, 2010, 現時間 4:33 PM
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March 13, 2010
マリブ女性、崖から飛び降りて強姦魔を振り切る!
ローカルニュースだが、見出しが目についたので読んでみた。
南カリフォルニアのマリブ市で、強姦されそうになったジョガーが崖から飛び降り、丘を100フィート滑り降りて攻撃から逃れるという事件がありました。ロサンゼルス郡シェリフのデレク・サバティニ警部によると、この女性は落ちた時に得た切り傷の手当のためマリブ市の病院に運ばれたと言うことです。
被害者の女性によると、お昼近くにポイントドームステートビーチにてジョギングを終わらせ崖のふちに立っていると、突然後ろから抱き抑えられ、男の腕を振り切るまで数分もみあったといます。女性が崖を走り逃げ崖から飛び降りたのはこの時です。
犯人の男は女性が乗って来ていたトヨタランドクルーザーに乗って逃走しました。犯人の捜索は継続中で、まだ捕まっていません。
この間もサンディエゴでジョギングしていた若い大学生女性が強姦されたうえ、殺されるという事件が起きたばかり。この事件の犯人は捕まったが、なんとこの男、以前にも幼児連続強姦の罪を問われ捕まっており、ほんの数年の禁固刑を受けた後保釈されたばかりの身だったという。
昨日も、連続強姦で指名手配になっていて20年近くも逃げ通して捕まった男が、たった三年の刑期を終えて釈放されるという話を聴いた。この男を刑務所に送り込んだ検察官が怒って釈放される地元に警告の記者会見をするという異例な発表があった。
なんだってこういう奴らがのこのこ道を歩けるんだ? 連続強姦魔は一生強姦魔だ。改心などしないのだ!どうして終身刑や死刑にしないのだ!本当にアメリカの司法システムはどうかしてる。
それはともかく、強姦魔から逃れるために、とっさに崖を取び降りるなんて凄い勇気だ。打ち所が悪ければ死んでしまう。もっとも強姦魔に素直に従っても殺される可能性は非常に大きい訳だから、だったら一か八かで飛び降りるというのも手かもしれない。
欲をいうなら、犯人の男が崖から落ちて死んでくれれば良かったに。
とにかく、女性に大事がなくて本当に良かった。
ところでジョギングをしたり、道を歩いている際に、ipodなどで耳を塞がないこと!音が聞こえないと回りの状態に気がつかず、変な男に近寄られてもわからないことが多い。また、携帯などで話をしていると話に熱中して注意散漫になる。後ろから来る車に気がつかずにはねられるといった可能性も大きい。どうぞくれぐれもご注意あれ!
March 13, 2010, 現時間 11:23 AM
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March 11, 2010
モスレムのゲイバッシングを黙認するアメリカゲイ社会
私は以前に、アメリカのフェミニスト達がモスレム(イスラム教徒)らによる女性弾圧について沈黙を守っていることを批判したことがある。アメリカのフェミニスト団体は女性の立場向上よりも左翼リベラルとしての立場を重く考える。というより、フェミニズムなど左翼主義促進のための一つの手段にしか過ぎない。だから、女性問題と左翼主義が対立した場合には、必ず左翼主義が優先される。(イスラム圏社会はおよそ左翼主義とは言えないと思われるかもしれないが、右翼保守のブッシュ政権が対抗していたので、敵の敵は味方という安易な考えがここで働くわけだ。)
どうやらこの傾向は同性愛者たちの間にもあるらしい。
ゲイペイトリアット(同性愛の愛国者)の著者ブルース・キャロルがビッグジャーナリズムで書いている記事によると、先月26日、(2/26/10)サンフランシスコで起きた同性愛男性がビービーガンで撃たれるという事件について、SFのメディアは驚くほど犯人像の表明に消極的だという。
ヘイワードから来た従兄弟同士三人は、サンフランシスコでビービーライフルを使って通りがかりの男性の顔に向けて撃ち、その状況をビデオ撮影した疑いで、パトロール中の警察官に取り押さえられた。車のなかにあったビデオカメラには攻撃の様子が撮影されていた。
犯人三人は、シャフィア・ハシミ(Shafiq Hashemi, 21)、サイード・バサム(Sayed Bassam, 21)、そしてモハメッド・ハビビザダ(Mohammad Habibzada, 24)。三人とも犯行を認めており、サンフランシスコにはゲイバッシングの目的で来たと白状しているという。
さて、これがテキサスやユタから来た白人が犯人だったら、今頃「右翼過激派のヘイトクライム!」とかいって大騒ぎになっていたこと必定。ティーパーティなども引き合いに出されて、「ティーバッガーの暴走」とかいって主流メディアはでかでかと書き立て、すぐさまドキュメンタリー映画にでもなっていたことだろう。
それが犯人が明らかにモスレムだと解ると、主流メディアどころか、ゲイで知られるサンフランシスコのテレビローカルニュースにしろ地方新聞やゲイ専門誌ですら、この事件の犯人像についておそろしいほどの沈黙を守っているというのである。
アメリカでも一番人気のゲイマガジン、アドボケート(the Advocate)でも、犯人像やその動機について全く触れていないという。
イスラムが動機のゲイバッシングについては、タウンロードやジョーマイゴッドといった左寄りゲイブロガーたちも完全沈黙を決め込んでいるが、すくなくとも彼らは犯行そのものが起きたという事実は認めている。それが極左翼のパムスハウスブレンドやアンドリュー・サリバンのデイリーディッシュになってくると、事件があったことすら無視。一時期、モスレムによるゲイバッシングもあると認識していたサリバンなどは、この話を取り上げそうなものだが、ニュースが耳に届いていないと見えて、何も書いていない。「好都合だな」とブルース。
アメリカのゲイコミュニティーに通じていない人たちは、基本から理解する必要がある。政策やアドボカシーの決断をするゲイリベラル活動家やリーダー達は、長いことモスレム過激派によるゲイやレズビアンへの脅威を無視してきた。ヒューニューマンライツキャンペーン(the Human Rights Campaign)ギルファンデーション( the Gill Foundation)ナショナルゲイアンドレズビアンタスクフォース(the National Gay and Lesbian Task)といったリベラルの「ゲイ人権」団体は、それよりもアメリカのキリスト教徒によるゲイやレズビアンへの攻撃について毎日のように心配している。
イスラム圏諸国では同性愛嗜好であるというだけで絞首刑になるなど日常茶飯事だ。にも関わらず、アメリカの同性愛活動家たちは法廷による同性愛結婚の強制や、税金を無駄使いした教育場での子供の同性愛勧誘に忙しく、イスラム圏政権による組織的なゲイ殺害に興味がない。外国で起きていることならまだしも、その脅威がアメリカ海岸にも乗り上げ始めていることにすら興味がない。
ほんの先月、クリーピングシャリアというブログがバンダービルト大学のモスレム司教によるこんなコメントを報告している。
イスラム教では同性愛への罰は死刑だというのは本当かという質問に対し、イスラム教学の教授であるアワディ・A・ビンハズィム司教は「はい、罰は死刑です。」と答えている。そして自分はイスラムの教えに従うとさえ断言している。
こうしたイスラム教学はサウジアラビアではなく、ナッシュビルやテネシーの大学でも教えられているのだ。
だが、アメリカのゲイ活動家が優先するのは、同性結婚に反対するアメリカのキリスト教徒への反撃のみ。
また、アメリカのゲイ活動家の基本的思想として、反資本主義、反民主主義、反戦、そして反イスラエル、といった感情が何十年にもわたって深く根付いている。2003年から2007年に行われた反イラク戦争の集まりに参加した人なら、親共産主義や反資本主義や反ブッシュのサインやスローガンに混じって虹色の旗(非公式のゲイ/レズビアンのシンボル)を見るのは避けられなかったはずだ。
この「コミュニーティー」においてアメリカでゲイであるためには、先ず最初に「主流」であることを拒絶し、個人主義や自由や資本主義や憲法や投票権や愛国心を放棄しなければならない。それがすべてチェックできたかい?そしたらクラブ参加大歓迎。
イスラム脅威に立ち向かうなどアメリカゲイ体制の遺伝子とは完全に異邦なものだ。彼らにとって敵は共和党であり、ストレートな男達であり、アメリカ軍隊なのだ。
サンフランシスコや世界中で起きるモスレムによるゲイバッシングに関して、アメリカのゲイコミュニティーの姿勢は、それこそまさに、「聞くな、言うな」なのである。( “don’t ask, don’t tell” )
これだからカカシが以前から指摘しているように、アメリカのゲイ達は同性結婚には躍起になるくせに、同性愛の正式軍隊勤務には興味がないというわけだ。彼らはゲイの味方なのではなく、単にゲイ達を左翼主義促進の道具につかっているに過ぎないのだ。これはフェミニストと全く同じこと。
左翼は常に少数派を利用するのだ。
March 11, 2010, 現時間 5:55 AM
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February 2, 2010
米軍上層部、同性愛者の公式な軍隊勤務を奨励
この間オバマ王は同性愛者の軍隊勤務について、「聞かない、言わない」法を撤回すると発表したが、火曜日、上院議会でマイク・ムレン海軍大将、統合参謀本部議長も、既存の法律は「同胞市民を守るために嘘をつくこと」を強制するものだとして、その撤回を嘆願した。また、防衛庁のロバート・ゲーツ長官もムレン大将同様、1993年に設立されたこの法律施行の緩和を促した。
オバマ王は一年以上も前から、この法律を撤回すると宣言だけして全く何の行動も起こしていなかったのだが、軍上層部でもこの法律の撤回を本気で考える動きがあるというのであれば、望みは持てるかもしれな。
だいたい、同性愛者であることを隠してさえいれば勤務できるというのは、この間からカカシが色々書いているように、ゆすりの原因にもなるし、第一これらの人々の人権を迫害するものだろう。ここはひとつ、保守派の皆さんも、変な偏見は投げ捨ててこの悪法撤回に賛成してもらいたいものだ。
何度も指摘したように、同姓結婚と違ってこのことによってアメリカの道徳観や伝統が失われるというものではない。同性愛者が何十年にも渡って米軍で勤務してきたことは暗黙の了解であり、いまさら同性愛者だからといって優れた軍人にはなれないなどという言う人はいないだろう。
これは黒人兵と白人兵を混合させたときと同じで、兵士にとって問題なのは頼りになる同胞であり、その人間が自分のプライベートな時間で誰とデートしていようと軍隊の士気には無関係だ。
はっきり言って軍隊というところは民主主義ではないので、上から命令が下されれば下は多少不満があっても従う。であるからリーダーシップがしっかりしてさえいれば、こういう変革は案外すんなりいくものなのだ。
ミスター苺が海軍に居た頃、同胞の将校らに同性愛者と並んで勤務することに抵抗があるかどうか聞きまわったことがあるそうだ。これは正式な統計を取ったわけではないが、将校の間では別に気にならないとした人がほとんどだったのに対し、下士官のほうでは嫌だという人が結構多かったという。
これが反対だと問題だが、将校の間で抵抗が少ないのであれば、この法律は撤回してもさほど問題はおきないものと思われる。
ま、今後一年くらい調査した末に決断が下されるという話なので、今すぐというわけにはいかないのだろうが、なるべく早い結論を望みたい。もっともオバマ王が相手では、いったい何時になるのかあてにはならないのだが。
February 2, 2010, 現時間 7:00 PM
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January 23, 2010
何故フェミニズムは理解されないのか
多分日本でもそうだろうが、初期の目的はどうあれ、いまやフェミニズムというと、ちょっと「勘弁してよ」と敬遠したがる人が多いのではないだろうか。アメリカではフェミニズムなどという社会的な運動は今や時代遅れ。フェミニズムなど一部の左翼運動家以外は誰も興味を持っていない。
もうほぼ男女同権を獲得したアメリカ社会では、特に今更フェミニズムなどという動きは必要ないが、まだまだ女性差別がある日本で、女性の地位向上という本当の意味でのフェミニズム運動が一部の過激派によって台無しにされてしまったことは残念でならない。
それにしても、なぜフェミニズムは一般市民に理解されないのであろうか? マサキチトセというフェミニストの書いたエッセーによると、これは意図的なものだそうだ。
このエッセーは、WANという世界的なフェミニスト団体の日本支部と東大ジェンダーコロキアムと共催して行った「男(の子)に生きる道はあるか?」というライブイベントに関する感想文である。
アップデート:
WANが国際的な組織ではないという指摘が私の知らないところでされてるようなのだが、アメリカに全く同じWomen's Action Networkという名前のフェミニスト団体があり、そのミッションステートメントが日本のWANに非常に似ている。
国際的な組織で160カ国に支部をもち35000人のメンバーを持つと誇るWomen's Action Network (WAN)というフェミニストグループも存在する。
同じ名前で、同じような目的の国際組織が存在していることは確かである。全く無関係な組織であるというなら、同じ名前はただの偶然かもしれないし、もしかして日本の組織は国際組織のファンなのかもしれない。ま、部外者の私にはそこまでは解らない。
「一般の人にわかりやすい言葉で話して下さい」と言われる経験は、私たちフェミニストには日常茶飯事だ。そう言われるたびに私はその言葉に憤りを感じ、口をつぐむ。時には相手に噛み付くこともあるけれど、そこまでして相手に分かってほしいと思っているかというとそうでもない。何が頭に来るのかと言ったら、それはフェミニズムに「わかりやすさ」を求め、「わかりやすくないなら私はそれに賛同しないぞ」と、言外にほのめかす態度なのだと思う。そしてまた、自分がわからないということを「一般の人」という安易なカテゴリーを使って、あたかもかれらを代弁しているかのような振る舞いで当然のように開き直っている様子も、苦手だ。「一般の人」とはいったい、誰のことを言っているのだろう。
偶然というほどでもないが、隠フェミニスト記でこのイベントに関する紹介があり、ビデオのほうもちらっと見ていたが、途中でつまらなくなって観るのを止めてしまった。内容があまりにも内輪のじゃれ合いという感じがしたし、第一、彼女たちの使う語彙の中に、私の知らない言葉がぽんぽん飛び出して来て、私にはこのおなごせんせ達が何をいってるのかさっぱり解らなかったからだ。
それで私は「どうしてこう左翼エリートは一般人に理解できない言葉使いをするのかなあ。」と思っている矢先にこの批判を読んだので笑ってしまったのだ。
普通一般の人が「一般の人にも解るように話してください」というのは、「専門家ではない私みたいな者でも解るように話してください。」という意味であり、別に自分が不特定多数の一般人を代表するという意味で言ってるわけではないだろう。
これはフェミニストに限った事ではないのだが、左翼エリートは「一般人」が使わない言葉を使って聞く方をたぶらかす傾向がある。やたらに意味のないカタカナ英語を並び立て、聞いてる方が理解できなかったり誤解したりすると、あたかも自分らは頭がいいんですよ〜、わかんないあんたが馬鹿なのよ〜、という態度を取る。ミスター苺に言わせると、相手に理解出来るように話せないのは自分が解ってない証拠なんだそうだ。私から言わせたら相手をわざと煙に巻くのが目的なんだと思うが。
その点マサキはかなり正直だなという気がした。(強調はカカシ)
私が常日頃からこういうことを言われるのは、私にとってフェミニズムとクィア理論が密接に結びついているからかもしれない。(略)その両方をきちんと分けられない私にとって、「一般の女性」や「一般の人」という言葉はほとんど意味を持たない。なぜならそういう言葉が発せられるとき、ほとんどの場合、異性愛の、貧困ではない、障害のない、人種・民族的にマジョリティの、先進国の人を指しているからだ。(略)マジョリティを「一般」というレトリックで欺瞞的に表現するその態度こそ、私が批判したいと常日頃思っているようなイデオロギーだ。フェミニズムは、あるいは、私が信じ、惹かれているタイプのフェミニズムは、「一般」に迎合したりしない。これまでも私の尊敬するフェミニストたちは、一般を挑発するような言葉を作り出したり、反感を買いやすい主張やパフォーマンスをしたり、そして案の定強い反発を受けて来た。(略)
もちろん世の中を変えようというときに、特に社会政策を変えようというときには、多くの人の賛同を得る必要がある。しかしフェミニズムが容易に「一般」に受け入れられるとき、それは必ずしもフェミニズムの思想の発展や広がり、普及を意味するとは限らない。「一般」受けする思想には、常に危険が伴う。それはジュディス・バトラーがお茶の水女子大学に講演にやって来たときに、彼女の文章は難解でエリート主義に陥っているのではないかという質問に対する返答として、抵抗なしに受け入れられる言説はつまり現状既に社会に織り込み済みの言説であって、それでは理解可能性の領域の拡大を狙うことはできないと言っていたこととも共鳴する。(略)
そもそも「一般的」とされるような現存の言語を用いて語ることは、正にその言語が同性愛嫌悪的でトランス嫌悪的で女性蔑視的であるときに、ほとんど不可能なのである。その点において私は既にある程度語る言葉を制限されているのであり、更にそれを「一般向け」に翻訳せよというのは、二重の暴力を行使することを意味する。
過去十数年のあいだクィア運動の中で培われて来た言語、更に言えば過去1世紀(あるいはそれ以上)のあいだフェミニストたちやゲイ・レズビアン運動の担い手が紡ぎだして来た言語、黒人解放運動や障害者運動がなんとかして、あらゆる言葉をつなぎ合わせ、作り出し、また本来の意味から引き剥がし自らの言葉に変えて来た言語。それらは、私たちが日常を生き延びるために、私たち自身の人生をよりよく理解し、よりよいものにするために、日々の実践の中から生み出された言語である。私は、あらゆる理論はそのように作り出されたと思うし、またそうではない理論には魅力を感じない。わかりにくいフェミニズムこそ、私の理解可能性の領域を広げてくれるし、社会の変化への希望を感じさせられる。
私はいつもどうしてフェミニズムの話になると、ゲイやレズビアンといった同性愛嗜好がくっついてくるのか不思議でしょうがないのだが、このマサキチトセなる人も、実を言うと女性ではない。彼の自己紹介を読んでも、何がいいたいのか解りにくい。
マサキチトセといいます。自分のことは a homosexual asian male butch from California, New Zealand and Japan (カリフォルニア・ニュージーランド・日本からきた同性愛・アジア系・男性のブッチ) と表現しています。現在は群馬県の館林市に住んでいて、近所の塾講師・ジェンダー/セクシュアリティ系の研究所のスタッフ兼翻訳者・文化系ウェブサイトの管理をやっています。
ブッチというのは男っぽい女性のことを意味するので、レズビアンの男役にも相当するが、実際に男性に生まれた人がブッチというのはおかしいし、彼のように女装趣味の男性では、まるで意味が正反対である。ま、あえて一般人に通じない言葉で自分を表現したいというのだから、彼のサイトはその目的を果たしていると言える。一般人のカカシにはまるで彼の言ってる事が理解出来ないもの。
ま、それは別にいいのだ。
彼/彼女らが一般人の理解を求めていないというならそれはそれでかまわない。でもだとしたら、我々一般人の生活習慣や文化を変えるようなことは止めてもらいたい。自分らの内輪だけで細々とクィアー(風変わりな)生き方を楽しめばいいのだ。
ところが、それがジェンダーフリーとかいって子供達の教育に悪影響を及ぼそうとしたり、同性結婚を押し付けようとしたり、既存の言葉の定義を勝手に書き換えて、元の意味で使う人々を差別者扱いしたりする、といった傲慢な態度になるからバックラッシュなんていうふうに一般人からの反感を買うのである。
少数派は多数派に迎合する必要はない。そういう生き方をしたけりゃ自由な国に住んで要る以上どうぞご勝手にと思う。だが、一般人に理解できない言葉使いを主張したいなら、フェミニズムが日本社会で理解を得られなかったとしても文句は言えない。彼らが主張する特権を得られないからと言って癇癪を起こさないでほしい。
January 23, 2010, 現時間 12:46 AM
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本当は同性結婚じゃないんだよね、同性愛活動家の真の目的
今週は同性愛者の公な軍隊勤務と同性結婚について左翼の矛盾をミスター苺が書いたMartial Arts and Marital Dartsを元に考えている。
本日はその最終回。
本当は、ゲイ活動家にとって、軍隊勤務の同性愛者をクロゼットに押し込んでおいたほうが都合がいい。それは自分に弱みのある人間のほうが左翼の社会主義を頼る可能性が高いからだ。自分に自信のない弱い立場にある人間ほど政府とか市民団体とかを頼りにする人はいない。
それに、もともと左翼連中は軍隊が嫌いだ。実際に軍隊に勤めたいゲイなんか奴らは大嫌いなのだ。何故かと言えば軍人になりたい同性愛者なんて多数派に迎合した裏切り者にすぎないと解釈されるからで、左翼フェミニストたちが軍隊に勤める女性達の戦闘員としての地位向上などに何の興味も示さないのと全く同じ理屈だ。
主流ゲイ団体にとって、ゲイがオープンに軍隊勤務出来るようにするなんて事は時間の無駄なのだ。それは主流フェミニスト団体が女性を戦闘員として昇格させることと同じくらい意味がないことなのだ。結論からいえば左翼は常に、個人の力を強めることよりも団体としての権力を増強させることにしか興味がない。
左翼市民団体は特定の問題に関する特定の解決方法を求めない。彼らが望むのは社会が彼らの望む不思議な形に変革することにある。彼らは既存の社会を根本的に破壊しスターチャイルドもどきの新人類を作ることを望む。言ってみればマルクス主義者が呼ぶところの「新ソビエトマン」の作成である。
彼らはまた大変革主義者でもある。彼らにとって宇宙規模の変革のみが彼らの目的を達成できると信じている。だから、部分的な問題解決は前進とは見なさない、それどころか後退と考える。部分的成功は組織への圧力を弱め、組織を破壊せず生存の可能性を強める。それこそ変革者たちの求めることと正反対なのだ。
だから、ヒステリックになって同性結婚を支持し、混み合う交差点で座り込みして『抗議』したり、商店のショーウインドーを割ったりして、計らずもクリスタルナクト(Kristallnacht)の真似をして、第8法案(Proposition 8:一夫一婦制のみが合憲とする法律) に投票した市民を同性愛恐怖症の差別者だと唾飛ばしながら叫ぶ奴らが、なんでゲイの軍隊勤務には沈黙なのか、どうして同性結婚は特別なのかといえば、同性結婚は大変革という目的に役立つが、軍隊勤務は役立たないからだ。
同性結婚は個々の力を強めない。なぜなら個々の家族にとって同棲を結婚と呼ぶかどうかなど大した意味はない。利益はすべてゲイ団体に行く。ゲイ団体の権力が強まるだけだ。
これはアメリカ社会は絶望的に差別主義だという、左翼得意の攻撃にぴったりあてはまる。この問題では右と左、共和党と民主党のあいだで完全な境界線がみられる。保守派は伝統的な結婚を支持し、リベラルは同棲結婚を支持する。だから同棲結婚を合法化すれば、特に法廷によって強制させるということは、右翼の犠牲のもとに左翼に多大なる利益を与えることになる。同性結婚を強制させることによって、西洋道徳の真髄である伝統的結婚は根本的な変革を遂げる。そしてこれが実現すれば、ユダヤ・キリスト宗教及びすべてのアメリカ伝統が底からひっくり返るということは、右も左も認めることである。左翼はまさにそれを求めているのであり、保守派はそれを防ごうとしているのだ。
もし人々が伝統的な宗教の自由が、同性愛を認めない自分らの協会や寺院で自由な宗教活動を守ってくれると思うなら甘い。ゲイ活動家がいくら、ゲイ結婚のライフスタイルを一般市民には強制しないなどと保証してみても、そのうち我々は、同性愛をみとめない我々の協会や寺院で、同性カップルの結婚式に参加させられ、一緒に写真をとられ、祝福を強制される。そしてこれらの「夫婦」が一般の夫婦と同じように養子をとることも認めさせられる。我々がそれを好むと好まざるとに関わらず、それは起きる。協会や寺院がそれに反発すれば左翼得意の訴訟が待っている。
だからゲイ活動家らとの妥協などあり得ない。保守派連中でゲイ活動家と妥協できると思ってるお人好しは、すぐにこれが常に左翼が勝つように出来てるトリックだということに気がつくはずだ。
左翼連中がどれだけ否定しようとも、一旦市民には結婚を規制する権利がないという前提をつくってしまえば、結婚は二人という単位でなければならないという規制をとっぱらうのは容易である。そうやって奴らは、二人以上の複数の結婚への道への地盤を敷こうとしているのだ。
「愛し合っているから」という理由で二人の男性が結婚できるというなら、愛し合っている三人の男性が結婚できないという理屈がどうして成り立つのだ?いや、それをいうなら二人の女性と二人の男性は何故いけないのだ?
コーランが奨励する、ひとりの男と四人の女では何故いけないのだ? これによってまたまたイスラム教のシャリア法の一部が我々の社会に注入されることになる。
「結婚」がなんでもありなら、結果的にはなんにもないのと同じだということに人々はそのうちに気がつくだろう。そうなれば、すでにヨーロッパ諸国で起きているように, 結婚しようという人々の数は極端に減り、少子化がどんどん進む。
もちろん、イスラム移民は産児制限などしないから、こうやってすでに人口でヨーロッパ諸国を乗っ取ろうとしているイスラム教がアメリカをも乗っ取る事が可能となる。
同性結婚は伝統的な結婚に向けられた毒矢である。同性結婚の目的はゲイの結婚を認めることではない。同性結婚の結末はアメリカをシャリア法に友好的な国に変貌させ、一夫多妻性を奨励する国となることである。
破壊への道は明確だ。にもかかわらず俺たちはその道をすでに歩き始めている。同性結婚を認めるということは、西洋文化の価値観を捨てるということだ。同性結婚を許すとういうことは、俺たちが文明人として集団自殺をすることなのだ。
西洋の文明が滅びて栄えるのは野蛮人だけだ。
January 23, 2010, 現時間 12:43 AM
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January 22, 2010
だから、なんで同性結婚がそんなに大切なんだよ?
今週は同性愛者の公な軍隊勤務と同性結婚について左翼の矛盾をミスター苺が書いたMartial Arts and Marital Dartsを元に考えている。
本日はその第五話。
さて、同性結婚はプライバシーの問題なのではないか、という議論を考えてみよう。
この議論はドウ考えてもおかしい。社会に同性結婚を認めよという要請がなんでプライバシーってことになるんだ?
まったく。
これに比べてソドミー法は、典型的なプライバシー侵害だった。同意した大人同士が閉ざされた扉の向こうでなにをしようと誰に迷惑がかかるというのだ?
だからなんで同性結婚なんだよ?
さて、いい加減に俺が最初に答えがあるといった「何故」という質問に答えよう。
どうして同性愛活動家たちは、簡単に国民を説得できるゲイの軍隊勤務合法化よりも、国民の多数派が反対している同性結婚に力を入れるのか?
敵の支配こそ権力の増強となる:
俺が思うに、ゲイ活動家はオープンに軍隊に勤務したいなんて思っちゃいない。何故ならゲイが本当の意味でアメリカ社会に溶け込むことなんて望んじゃいないからだ。同性愛共同体のthe Gay and Lesbian Alliance Against Discrimination (GLAAD)とか、エイズ活動の the AIDS Coalition to Unleash Power (ACT-UP)だの、the Lamda Legal Defense やEducation Fund、そしてEquality Californiaなんていう市民団体の権力は、個人で闘う力を得た主流なゲイなんかから来るのではないく、臆病で依存症で孤立した弱い人々の唯一つの希望として頼られることによって力を得るのだ。
「革新的」と言われるthe ACLU, People for the American Way, Democracy Alliance, そしてムーブオン(MoveOn.org)なんていう市民団体はリベラルを力づけるなんてことは絶対にしたくないのだ。何故なら力ある個人はこんな市民団体なんか必要としないからだ。左翼の市民団体のスローガンは常に「君たちは弱者であり無力だ。だから我々に頼るしかないのだ。我々に金を払え、君らのために闘って上げよう」組合が弱く無力な労働者の代表を気取るのと全く同なのだ。
ゲイ活動家も全く同じだ。彼らは常にことを個人の力と全体とのゼロサムゲームだと考える。活動家が個人と全体のどちらの味方かは明らかだろう。
主流な同性愛者に左翼は興味がない。フェミニスト各団体や環境団体と同じように、ゲイ活動家も左翼が最優先、ゲイであることなど二の次なのである。
January 22, 2010, 現時間 4:12 PM
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January 21, 2010
結婚の定義における性別対人種の違い
今週は同性愛者の公な軍隊勤務と同性結婚について左翼の矛盾をミスター苺が書いたMartial Arts and Marital Dartsを元に考えている。
本日はその第四話。
結婚の定義における、性別対人種の違い
同性結婚と異人種間結婚における比較には問題がある。それというのも異人種間結婚については、カリフォルニア最高裁の1948年のペレズ対シャープ裁判(Perez v. Sharp, 32 Cal.2d 711, 198 P.2d 17)で人種が結婚の定義に用いられることが違憲であると判断された頃から、市民の間ですでにほぼ合意が得られており、法廷が市民の意見を率先したわけではなかった。
1948年の判例に始まって1967年 (Loving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)) で連邦最高裁において、最終的にアメリカにおける異人種間結婚禁止は違憲であるという判定が出た時には、1865年から1870年に起きた南北戦争も含み1964年の人権法も経て、すでに国民の間では人種差別は不法であるという認識が広く受け入れられていた。
だいたい科学的に人種の差別など証明できないし、黒人や白人や黄色人種などの間に決定的な差など存在しないことは科学者の誰もが認めることだ。
だが同性結婚にはこのどれもあてはまらない。
国民全体どころか州民の間ですら同性結婚が普通の結婚と同じように扱われるべきだなどという合意は存在しない。州によっては同性結婚支持派がかろうじて多数派を占めるというところがあるかもしれないが、(それにしたってかなり疑問だが)同性結婚の合法化が州民全体の意見として受け入れられている州など存在しない。
ここ数年における同性愛活動家による訴訟が起きるまでは、同性結婚を認める州など存在しなかった。同性結婚の前例などまるで存在しなかったのである。
それにくらべて、1776年、合衆国の最初の13州のうち多数派の7州までもが異人種間の結婚を認めていた。同性結婚はあきらかに法廷が率先しており、法廷の判決は市民の間から出た同性結婚をみとめないことが違憲だといった社会的合意への反応ではない。同性結婚憲法改正法だの憲法の見直しだのといった連邦政府の決議など全くされていない。
憲法に関する議論と言えば、1996年の the Defense of Marriage Act of 1996で、結婚は一夫一婦制であるべきという反対の議論はあっても、民主党が与党を占めている2007年から2009年にわたる議会ですらも、一夫一婦制を違憲とするという法案など提案されたこともない。それどころか、あちこちの州で同性結婚を禁止する法律が通されているくらいだ。
つまり、アメリカにおいて全国的にも地方的にも同性結婚を支持するという考えは市民の合意を得ていないのである。これはバーモント州議会のように甘やかされた左翼エリートのペットプロジェクトとして残っているだけなのだ。
そしてもちろん、人の性別(ジェンダー)は人種とは違って、特別な場合を除いて、生物学的にその違いが決定的に証明される。
結論として、結婚に関して語る時、人種と性別では全く比べ物にならないのである。
January 21, 2010, 現時間 11:27 AM
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January 19, 2010
『ゲイを軍隊に入隊させろだ? 冗談じゃねえよ』
今週は同性愛者の公な軍隊勤務と同性結婚について左翼の矛盾をミスター苺が書いたMartial Arts and Marital Dartsを元に考えている。
本日はその第二話。
『ゲイを軍隊に入隊させろだ? 冗談じゃねえよ』
同性愛者の公な軍隊勤務を反対するに関しては非常に多くの問題点がある。
俺(ミスター苺)はこれまでゲイが秘密裏に勤務する方がオープンに勤務するよりも望ましいという納得のいく意見を聞いたことがない。
今日において、ゲイ男性がストレート男性より劣っているなどという議論がまともだなんて考える奴はいないだろう。ゲイ男性がひ弱だとか女々しすぎてストレートな男性と並んで闘えないなんて馬鹿げたことを言う奴はいない。ただひとつ聞かれるのは、反対意見としてはかなり弱いが、オープンなゲイがいると(内密にしているのとは違って)回りのストレートな人間が居心地がわるいからといったくだらない理由だけだ。
同性愛行為をする傾向のある人物が軍隊の規律や士気に悪影響を与えるというのは、全く証明されていない偏見にしかすぎない。これは「女はPMSがあるから戦闘パイロットにはなれない」と言ってるのと同じで全く根拠がない。
こんなのは、単にホモに見つめられるのが嫌だという、以前に「黒人と一緒に仕事なんかできるか」といっていた人種差別者たちと同じで、性嗜好の違いへの偏見に過ぎない。どちらの場合も同性愛者とか黒人といった当人に問題があるのではなく、偏見を持った人間の過敏な神経が問題なのだ。
今日、誰かがゲイだということが解ったからと言って、隊の士気が乱れるなどという根拠はない。それどころか、ほんの一部の差別者を除けば、ほとんどの兵士らは同性愛が明らかになって辞任させられる仲間を懸命にかばうくらいだ。
同性愛者が隊の士気を乱すなどという理屈は1950年代かそれ以前なら信じられたかもしれない。黒人と白人兵を混ぜた軍隊への反対論が、社会がヒットラーによる人種差別を見せつけられる以前になら成り立ったように。しかし、いまや、「ゲイは気持ち悪い」などという反論は偏見への執拗な執着以外の何者でもない。
ゲイにその嗜好を隠すことを強要するのは、彼らをゆすりの犠牲者にする可能性が高い。暴露されることを怖れて敵に手助けをする者も出るかもしれない。
ゲイは人口のほんの2〜3%にしか及ばないが、その道徳心は一般人口と変わらないだろう。とすれば、ほとんどのゲイたちは国に危険を及ぼすくらいなら除隊を選ぶだろう。だが、なかにはキャリアの方が何よりも大事だと思う兵士もいるはずだ。ストレートな将校のなかに浮気をする人間がいるように。
単に浮気願望があっても実行に移さない人間を除隊させることが出来ないのとは違って、ゲイ男性やレズ女性は同性愛の傾向があるというだけで除隊されることが合法なのである。現在の法律ではゲイ男性が実際に同性行為を行わなかったとしても、そういう嗜好があるというだけでキャリアを失うという罰を受けるのだ。
同性愛者または両性愛者は、自分の性的嗜好を明らかにした、もしくは同性の人間と結婚しようとした、ということが明かになれば除隊をやむなくされる。たとえ同性結婚が合法な州での結婚であり、入隊前のことで、今は離婚して同性愛主義は止めたと言う人であっても、そいうい過去があったことが暴露されれば強制的に除隊なのである。
他に何の欠点もなく、何の悪行も犯してない人に、多くの人々が生まれつき持っていると信じる性嗜好のみによって、アメリカ市民が軍隊で勤務できないというのである。
我々が我々であることを理由に我々の文明を破壊しようという敵との闘いにおいて、どの市民も武器を持って社会を守る権利があるというのはリバティに関する問題だ。にもかかわらずこの法律は憲法は市民が軍隊において勤務する権利を認めていないと主張するのだ。
法律上はそうなのだろう。だがすべて合憲であることが道徳的に正しいということにはならない。
もし対テロ戦争が西洋文明にとって岐路となるものであると信じるなら、我々は気持ち悪いとかいうくだらない理由で良い兵士を拒絶する余裕はない。
軍隊か結婚か、それが問題だ
このように議論すれば、大抵のアメリカ人はこの「聞かない、言わない」政策は非常に不公平でアメリカ的でないと考えるはずだ。しかもアメリカの防衛に危険を与えるとなればなおさらだ。つまり、ゲイ活動家がその気にさえなれば、簡単に勝利を得られる問題なのである。にもかかわらず、彼らはほとんどこの問題には興味を示さない。
国民の大半が反対している同性結婚にこれだけ熱を入れるのは何故なのだろうか?俺からみたら、ゲイ活動家は現在の結婚制度を変えたいというより、破壊したいという雰囲気すら感じられる。一部の過激派なんて人々の意志を踏みにじって結婚制度を破壊することにオルガズムを感じるんじゃないかと思わせる。
これは決して数の問題ではないだろう。同性同士で結婚したがってるゲイの数が軍隊に入りたい人間より多いってことはないはずだ。いや、それどころか、同性結婚が合法な州での傾向をみていると、ゲイのなかで結婚したいと思う人の割合はストレートな人口より遥かに低い。
じゃあ、何故なんだ? 何故反対が多い困難な問題を、沈黙の多数派から自分らを浮き立たせ切り離すような戦いを、有権者が機会を与えられる度に拒絶してきた問題を選ぶのだ? 何故多数派がほぼ同意できる、保守派ですら味方にできる、アメリカ人の道徳や良心に訴えることが可能な問題を選ばないのだ?
テキサスのソドミー法(同性愛を含む多々の性行為を禁止する法律)を違憲とする最高裁の審判を考えてみてほしい。国民のほとんどがこの決断に異存を示さなかった。一部の保守派が騒いではいたが、ほとんどのアメリカ人は「今更そんなの当たり前だろ」と思った。これは自由なアメリカ人が自由に愛情を表現する権利の問題だったからだ。
これと同じように自由の権利として、「聞かない、言わない」政策の廃止も可能なはずである。
January 19, 2010, 現時間 6:18 PM
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January 18, 2010
専門家が語る役に立つ防犯を見直そう
自衛論云々の話が出た時に、『防犯の専門家でもないひとが、誰でもやってるようなくだらない自衛を説くな』と批判する人がいた。こちらの方が典型なのでちょっと引用。
特別、なにか目新しい、効果的な方法をあげることもできていないのに。 「何十年もやってきたので、もうそれは知ってます。それだけでは無理です。防げません。」 と、意味がないよ、と言っているのに。それをやったこともない人が、「無意味じゃない」って。
何の根拠があって、意味がある、と断言できるのだろう。だって、自分がしてきたことでもないのに。
防犯や武道のプロでもないのに。
こういうことを書いた人はこの人だけではないが、普通の人が思いつくような自衛など「誰でもしている」という発言には私は非常な疑問を感じていた。何故かと言うと、私自身も、気をつけなければいけないと思いつつ、ついうっかり忘れることがあるし、全く無防備だなと感じる知り合いが私の回りにも結構居るからである。
それで色々検索していたら防犯のプロが書いている、こんなサイトを見つけた。書いてるひとは佐伯幸子という防犯専門家。
さえきゆうこ、安全生活アドバイザー。92年より「頭を使って身を守る方法?知的護身術」を提唱。子どもや女性の安全対策を中心に、暮らしの中のあらゆる場面での危険を指摘、排除する方法を分かりやすく解説。危機管理のスペシャリストとして、講演やTV出演をこなす一方、著書9冊の執筆など精力的に活動。
この人のサイトでは実際に起きた犯罪を元に、どのように防犯するかという話が書かれている。引用する部分は2002年に書かれたもので、今回の一連の討論とは直接関係ないが、やはり私が思った通り、出来ることをしないで被害にあっている人が結構いる。
鍵のかかっていない部屋を狙った連続強姦魔
東京都小平市を中心に平成13年10月頃から、ひとり暮らしの女性をねらった婦女暴行事件が未遂を含めて20件連続発生しています。被害者の多くは学生など二十代の女性で、自宅のカギをかけ忘れたか、かけていなかった、いわゆる「無施錠」のところを侵入されています。犯行は夜の10時から深夜2時くらいの間に集中しています。ほとんどの被害者が就寝中でした。犯人の男は目出し帽で覆面をして、「騒ぐと殺すぞ」などと脅迫した上で乱暴しています。カッターナイフのような刃物を突きつけられた被害者もいるようです。
佐伯さんによると、親から離れて始めて一人暮らしをするようになった若い女性は、自分が部屋に居る時に部屋の鍵をかける習慣のない人が多いと言う。また、オートロックの建物だからとその効果を過信してしまう人が案外いるという。オートロックでも建物に住む人全員が注意していなければ意味がない。やはり最後の砦は自分の部屋の鍵。
実を言うと、かく言う私も建物内の洗濯部屋に行くだけだからという気軽な気持ちで鍵をかけずに部屋を留守にして、その数分の間に泥棒に入られた事がある。もし、私が戻って来た時、泥棒と鉢合わせになっていたらどういうことになったのか、考えただけでも恐ろしい。
昼間のピンポーンにドアを開けた主婦が被害に
平成15年4月1日この事件の犯人23歳の男が逮捕されました。犯人は外国人を装った日本人の二十代の男3人でした。(内二人は今年初めに逮捕済。最後の一人が捕まったことで報道された)。「引越のあいさつに来ました」と言われれば、ドアを開けてしまう、という人情を逆手に取った卑劣な犯行でした。(2003年4月3日加筆)
真っ昼間からそんなことがあるのかと思うかもしれないが、佐伯さんに言わせると、昼間は男性が居ない家が多いことから、家には女子供だけ、子供は人質にも使えるということで、意外と狙われることが多いのだと言う。
マンションなどで、同じ建物の住人のふりをして、「下の階のものですが、水が漏ってます」とかいってドアを明けさせた例もあるというから、隣近所にどういう人が住んでいるのかということも知っておく必要があると佐伯さんは言う。
また、引っ越しの挨拶に来たというなら、管理人さんに連絡して本当にそんな人が引っ越して来たのかどうかを確認するという手もある。とにかくドアを明けないで、明けたとしてもチェーンをしたままにするとかして、知らない人を中に入れないことが大事だという。
この他にもこのサイトには色々役に立つ防犯方法が書かれているので、女性に限らず男性にも是非読んでほしいと思う。
このサイトを読んでいて思ったのだが、私自身当たり前だろそんなこと、と思っていたことを意外としていない人が多かったり、言われてみればそうだが、自分では気がつかなかったなんてことが沢山あった。
例えば、窓ひとつとってみても、留守なのに窓が開きっぱなしになっている家、レースのカーテンやぬいぐるみが飾ってあって女性の一人暮らしがすぐにバレる部屋、遅くなっても電気が着かない家、といったように、その部屋や家の住人の家族構成や生活パターンが窓を見てるだけでわかるのである。
だから、タイマー付きの電灯を付けるとか、女性の一人暮らしならカーテンは中性的なものを選ぶとか、洗濯物も男物も混ぜて干すとか、工夫が必要かもしれない。
自衛論否定者たちも、「そんな自衛は誰でもしている、そんなんじゃ役に立たない」といって自衛論を踏みつけてしまうのではなく、だったら役に立つ自衛を一緒に考えようよと言えば、もっと説得力があるような気がする。
January 18, 2010, 現時間 5:15 PM
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どうして左翼は同性結婚には熱いのに、ゲイ軍人には冷たいのか?
同性結婚について何回か書いて来たので、今週は同性愛者の公な軍隊勤務と同性結婚について左翼の矛盾を考えてみたい。
これはカカシが書いたものではなく、去年の5月にミスター苺が書いたものでMartial Arts and Marital Dartsというエントリーから引用した。非常に長いので、何回かに分けて一週間の連続という形で書いてみたいと思う。
本日はその第一話。
どうしてゲイ左翼は同性結婚には熱いのに、ゲイ軍人には冷たいのか?
これは非常に興味深い疑問だ。普通ならゲイにとって利益となることを成し遂げることが同性愛活動家の目的なはずで、軍隊での勤務をゲイが秘密裏にしなければならになどという、間違いなくゲイの自由を理不尽に妨げる法律を取り除くことに先ず力を注ぐべきではないだろうか?
不思議なことに、同性愛活動家達はこの息も止まるような基本的な自由の迫害を無視して、同性結婚の方に力を入れている。もちろんゲイ活動家のウェッブサイトを深く掘り下げて読めば、ゲイを侮蔑する発言をしたどっかの将軍を批判する記事が三ヶ月くらい前に書かれたことがあることは否定しない。
だが、毎日のようにメロドラマよろしく同性結婚の話が新聞の第一面でカラー立体写真でこれぞとばかりに現れるのとは対照的に、ゲイ軍人への対応は冷ややかだ。
しかも、各州の法廷が州民の意思を無視して無理強いしなければ成立しない同性結婚とは違って、今日、いますぐにでもバラク・H・オバマの一筆で1993年の「聞かない、言わない」法によるゲイの公式軍隊勤務禁止法は撤回できるのである。
オバマ王は選挙運動中の公約にも関わらず、その約束を未だに果たしていない。そしてペンタゴン(防衛省)はゲイに関する法律を変える予定は全くないという。
俺(ミスター苺)が聞きたい根本的な質問は、なぜゲイの正式軍隊勤務合法化よりも同性結婚のほうが優先されるのかということなのだ?
読者諸君は驚くかもしれないが、俺には俺なりの回答があるんだよな。
続く。
January 18, 2010, 現時間 3:16 PM
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January 17, 2010
民主党議員、同性愛者の軍隊勤務禁止法撤回を拒む
同性結婚についてはずいぶん熱弁を振るうリベラルたちが、同性愛者の軍隊勤務合法化についてはあまり興味がないのは何故なのだろう? はっきり言って、こっちのほうがよっぽども違憲だと思う。
国のために闘うというのは市民の基本的な権利のはず。それを同性愛嗜好だというだけで拒否されるのは同性結婚などという特権が与えられないというのとは全く度合いの違う問題がある。
17年前に、民主党のビル・クリントンは大統領になるまえに、同性愛者の軍隊勤務の合法化を公約して当選したが、与党の民主党からの抵抗に怯んで大した運動もせずあっさりと諦めてしまった。私はそれまでクリントンのファンだったが、一気に彼への信頼感を失った。
その時、妥協案として軍隊方針の指導者的立場にあるアイク・スケルトン民主党下院議員(Rep. Ike Skelton (D-Mo.) )が提案し定着したのが「聞かない、言わない」法だ。これは同性愛者が内密に軍隊に勤めている分にはかまわないというもの。つまり同性愛者でもそれがばれなければいいというかなり害ある法律。
大事な職種についている軍人が何かの拍子で同性愛者であることが公になったらこの人のキャリアは終わりなのである。それが勲章をいくつも貰って戦場で勇敢な活躍をした人であってもだ。こんな不公平な法律ってあるだろうか?
同性愛がばれなければいいということは、ばれたらおしまいということであるから、これはゆすりの原因にもなる。
軍隊に居る間恋愛関係も肉体関係も全くない人などいないだろう。同性愛者は恋人の存在を隠さなければならない。もしも関係が破綻して恨みを持った元恋人に裏切られたらどうなるだろうか?
極秘情報を持つ軍の上層部の人間が同性愛者であることを他国のスパイに知られたらどうなる?
こういう悪法は国家防衛にも悪影響及ぼす。
バラク・オバマも同性愛者軍隊勤務合法化を公約して大統領になったが、クリントンの時と同じスケルトン議員が断固として引かない姿勢をしめしている。オバマにはクリントン異常の根性があるだろうか?
私にはかなり疑わしいのだが。
January 17, 2010, 現時間 8:17 PM
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January 13, 2010
差別意識は個人主義か全体主義かで違ってくる
カリフォルニアの同性結婚裁判について私のエントリーに反論しているnodadaなるサイトがあり(以前に腐男子とか言ってた人と同一人物かな?)はてなのブックマークでも似たようなコメントが多かったので、この人のエントリーをサンプルに個人主義と団体主義の違いについて考えてみたいと思う。前後の関係が解らない人は先ずこちらとこちらを読んでいただきたい。
ちょっと背景を説明すると、カリフォルニアでは去年、結婚は一夫一婦制のみの間でされるべきという法律が州民投票によって通ったのだが、それに異論を唱えた同性結婚支持派が州を訴え、そういう一夫一婦制法はカリフォルニアの憲法に違反するという理由で訴えを起こした。カリフォルニア最高裁が違憲であるという裁断を下したため、州民は今度はカリフォルニアの憲法そのものを改正し、一夫一婦制を合憲とする投票を行い、これでも圧倒的多数で州民の合意を得た。これに関するエントリーは後部に付け加えておくのでご参照のこと。
さて、今回の裁判はこの法律が合衆国の憲法に違反するという理由でカリフォルニア州を相手取って訴えている訳だ。今行われている裁判はまだ連邦裁判所の地方裁判の段階で、ここでは裁判官がかなり同性結婚に同情的であるため、原告側が勝つだろうと思われている。
先の二つのエントリーで、私が強調したかったのは、
- 同性結婚は州民の過半数が反対し、二回の投票で拒絶されているにも関わらず、同性愛者たちが法廷をつかって一般市民に無理矢理に押し付けようとしようとしていること。
- しかも原告側の同性結婚支持過激派たちは、弁護側に暴力的な脅迫を与え、弁護チームを解体させようとしていること
である。それで私は先日、
同性愛者たちは、自分らが非常な少数派であるということを忘れている。同性愛者が安心して生存できるのは、一般市民の寛容心があるからである。ほとんどの異性愛者は同性愛は変態だと思っている。しかし、自分らの生活に直接邪魔にならないのであれば、その存在は許容するという考えだ。それが、自分らの道徳観念の根本を覆すような法律を自分らの意志に反して強制的におしつけられるとなれば、これまでのような寛容心はふっとんでしまうだろう。
と書いたが、それに対してノダダは、
自分の言ってることが 「世の中には同性婚など自分の気に入らない法律を通しただけで同性愛者の安心・生存を脅かす異性愛者がいるんだから、犯罪化されたり殺されたくなかったら異性愛者のいう事を聞いておかないと損だぞ。少数派で下級市民のくせにヘーコラせず異性愛者を怒らすと怖いんだぞ。だから俺の言う事聞けよコラ。あ、でも実行犯は俺じゃないよ、他の人。俺は事実を教えてあげてる善人だからヨロピク。皆のためだから(はぁと)」 といった話でしかない事になぜ気づけないかなー。まんまヤクザの言い分ですよね。 「私はそれがいいことだとはひとつも書いていない」と言うけれど、異性愛者と同・両性愛者(もっと言えば非異性愛者)との不当な権力差を自明視(他人事として放置)しておきながら、「自衛のためだ、黙っておけ」と言うのはヒドく暴力的だし、それ自体がマジョリティによる差別的支配。
と彼の勝手な解釈をしている。
私は同性結婚支持派が多数派の合意を求めるための運動をするというのであれば特に異論はない。問題なのは支持派の州民投票の結果を無視した理不尽な訴訟や恐喝といった違法行為なのである。前回も書いたように、もしも支持派の主張が州民一般にも納得され、選挙で同性結婚が合法ということになるのであれば、私個人がどう思っていようとそれはそれで問題はない。
(だいたい、異性間の一夫一妻制婚姻を認めるならモノガミーな同性婚を認めない正当な理由はないのに、一体どうして自分の主張が差別でないと言えるのか不思議) つーか、お前の頭の中にはそんな差別主義な異性愛者しかいねーのかよ、ていう。
一旦同性結婚を許せば、『何故モノガミー(一対一)に限定するのだ?何故ポリガミー(一夫多妻制度)はいけないのだ?』という議論に発展して結婚そのものの意味がなくなるから駄目なのだ。私が何故同性結婚に反対なのかという話はすでに詳細に渡って書いているので、そのリンクも後部に張っておくから興味のある方は後部をご参照のこと。
彼女がいう、過激派の暴力による「威嚇」の事実がいかなものか知らないんだけど、もしも本当に「同性愛者が同性愛者というだけで差別されることに反対」するなら、「同性愛者の平等(というか性的指向に関する差別の是正)を訴えることや、一部の過激派がいることで差別的行動に出る異性愛者がいても、私はそれに反対する」と主張するのが論理一貫してると思います。ソドミー法のような性行為の犯罪化も、同性婚規制も、どちらも(同性愛者を狙った同性愛者以外も被害を被る)同様な差別のはずなので。
このことについて、私はコメント欄でこのように返答した。
しかし、ノダダは一部過激派の悪行を指摘しているだけなのに、私が同性愛者全体を嫌っているというふうに解釈するのは、一部過激派の悪行のために同性愛者全体を悪者扱いする同性愛差別者と全く同じ思想だと思うね。
↑むなしいほど伝わらないね。
と返答している。何故伝わらないのだろうか?
それはノダダも同性愛者差別者も、人を個人として扱わず、何かの団体に所属している人という全体主義で扱っているからである。
私をイスラモフォビアとか呼んだ奴らも同じ部類だが、私が一部のイスラム教過激派の悪行を指摘すると、私がイスラム教全体を批判していると解釈する。なんでもかんでも一事が万事なのである。個人個人の差など無視。常に全体でしか考えられない。
そういう考えで迷惑を被るのは無関係なのに同類だと思われる人々だ。
同性愛者だからといって同性結婚を支持しているとは限らない。ましてや意味のない訴訟を起こしたり反対派に暴力をふるったりする行為など許せないと感じている同性愛者はいくらもいるだろう。しかし過激派の違法行為がひどくなればなるほど、すでに個人と団体の区別がついていない人たちの間で、「軒先貸して母屋取られる」じゃないが、「下手に出ればつけあがってからに」と忌々しく思う人たちも出てくるだろうと私は言っているのだ。
じゃあ、同性愛者たちはそれが怖くて沈黙を守らなければならないのかと言えば、無論そうではない。同性愛者たちは社会の法律を守り、多数派の意図も尊重したうえで(選挙の結果を尊重すると言う意味)地道に自分らの信じる道徳を説けばいいのだ。
繰り返すが、文明社会では少数民族を少数だというだけで迫害することは許されない。少数派が社会の秩序を乱さない限り、多数派が少数派を弾圧したり差別したりすることは出来ないのである。だが、少数派が弱い立場にあることは事実なのであり、多数派に差別や弾圧の口実を与えるような違法行為は取るべきではない、というのが私の主旨だ。
それでも私が同性愛者に対して差別意識があると感じるのは、ノダダ自身が個人と団体の区別がつかない差別者であるゆえである。
関連記事
カリフォルニアにおける同性結婚裁判の背景:
カリフォルニア最高裁、同性結婚禁止法は違憲と判決
カリフォルニア州、同性愛結婚が敗北した日
私が同性結婚に反対な理由:
ジェンダーフリーは自由社会を破壊する
同性結婚は文明社会を破壊する
同性結婚は文明社会を破壊する、その2
January 13, 2010, 現時間 7:25 PM
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January 10, 2010
自己責任説より強姦への無理解を攻撃すべき
一連の自衛は自己責任かという話題について、カカシが特に書いてこなかった二次被害について、今日はきちんと私の意見を表明しておきたいと思う。
私は最終的には個々が自分の身を守るしかないと思っているが、それは決して、回りが協力する必要はない、とか、警察や行政には何の責任もないというかいう意味ではない。ましてや被害者が自衛対策を取っていなかったという理由で、強姦のような極悪犯罪を犯す人間の罪が軽くなるべきだなどとは思いも寄らない。被害者の防犯対策と加害者の罪はまるで別である。
以前にも書いたが、私も二次被害は経験している。アメリカは強姦被害者に対する偏見が日本ほどはひどくないとはいうものの、それでも私が被害を受けた1980年代では、まだまだ警察官や検察官らの間ですらも被害者に対する心遣いというものがほとんど見られなかった。ましてや世間一般の男性の間では強姦に関する理解度はゼロに近かったと言っていい。
先ず第一に、強姦事件の事情聴取をする警察官が男性であること。被害者が男性であれば別だが、女性の被害者が警察官に屈辱的な攻撃の詳細を事細かく話さなければならないことがどれほどつらいか、ましてや見ず知らずの男性にその話をするのは、それだけ考えても告訴などしたくなくなる。
それに加えて警察官に「あんたがだらしないからだ」とか「あんたがふしだらな女だからだ」といった批判的な態度を取られたら、気の弱いひとなら、ここで終わりだ。
私の場合は強姦が起きたことすら信じてもらえず、同居していた恋人に浮気がバレたので強姦話をでっちあげたのだろうと、事情聴取をした検察官から面と向かって言われて裁判にもならなかった。
性的には結構オープンなアメリカですらこれだから、保守的な日本の場合はもっとひどいのだろう。
よしんば裁判に持って行く事が出来たとしても、弁護側が被害者の生活習慣や自衛対策を弁護に使うことを裁判長が許可したりすれば、ここでも被害者は彼女の人生そのものを吟味される。アメリカでも昔の強姦裁判では、女性がそれまでに何人の男性と性交渉があったかなどという意味のない話題が持ち出され、被害者が屈辱的な思いをすることがよくあった。これではいったいどちらが裁かれているのかわからない。
私は断固そのようなシステムには反対だ。被害者の態度や生活習慣と加害者の罪とどういう関係があるというのだ?そんなことが本当に弁護の議論として許可されているのだとしたら、日本の裁判制度には非常に深刻な問題があるといえる。
しかし、こうした二次被害があるからといって、被害者の自己責任を説いてはならないという理屈はおかしい。自分を危険な場所や状況に置かない責任は誰にでもある。親が子供に知らない人に着いて行ってはいけません、と普段から教育しておく責任があるのも、子供を犯罪者の手から守る最小限の自衛だろう。
ここで問題にしなければならないのは、個人には自衛の自己責任があるからといって、強姦の罪が加害者ではなく被害者にあるという考え方である。以前に私が例に出したオーストラリアのイスラム教イマームなどは、集団強姦にあったオーストラリア人の女性に向かって、「(ブルカ)を被っていない女は布の被っていない肉と同じ。」と宣言し、だから男たちが強姦したくなって当然なのであり、強姦加害者に罪はないという発言をして多大なる批難を浴びた。
今回の曾野綾子のエッセーに対する反応は、まるで曾野綾子がこのイマームのようなことを言ったかのような反応だ。ま、曾野もイスラム教の習慣を良い例として出しているので、批難される要素が全くなかったとは言えないが。
二次被害を避けるためには、自己責任説を攻撃するのではなく、加害者への容認や寛容性を攻撃すべきだ。自己責任説の攻撃に精力を注ぐよりも、強姦とはいったいどのように極悪な犯罪であるのか、本質への理解度を高めることが先決だと思う。
確かに「自衛をしていない女は強姦されて当然」などと平気で言うけしからん奴も居るだろう。だからといってナイーブかもしれないが「こうしたら犯罪が防げるのではないか」と善意で言っている人々を一緒くたにして、だから自衛の自己責任を説くべきではない、としてしまうのは、今後被害にあうかもしれない人たちに対して無責任過ぎる。
自己責任説と二次被害とは別の話だ。二次被害は自己責任説から来るのではなく、「だから加害者は悪くない」という極悪な犯罪への無理解から起きるのである。何度も言うが強姦はセックスではない。これは暴力的な極悪犯罪である。
防犯設備のついていない家に泥棒がはいったからといって泥棒の罪は軽くならない。それなら何故強姦被害者だけがその自衛責任を追ってすべての罪をかぶらなければならないのだ?
そこに焦点をあてて問題を追求すべきなのではないか?
自衛論否定者はそこでピントがずれてしまっていると思う。
January 10, 2010, 現時間 9:31 PM
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カリフォルニア、弁護人を脅迫する同性愛者たちの暴挙
カリフォルニアでは今、前回の選挙で設立された、一夫一婦制のみが合法な結婚である、という州憲法改正が連邦憲法に反するという理由で訴訟を起こしており、その第一審議が明日から始まる。
ご存知のようにアメリカは連邦制なので、結婚制度も州によってまちまちである。だが慣例として他の州での結婚も合法として認めるのが普通だ。しかし、最近同性愛者たちの活発な活動によって、州によっては同性結婚を認めるところも出て来ているため、既存の法律のままでは同性結婚も認めざる負えなくなる。
そこで、たとえ他の州で合法的に結婚した同性夫婦であっても、カリフォルニア州ではその結婚が合法であるとは認めないという法律が州民投票によって設立されたわけだ。
その市民の意志を踏みにじるべく、カリフォルニアの同性愛活動家たちが、州を相手取って訴訟を起こした。問題なのは州の司法局もシュワッツルネッガー知事も、この訴訟に対して弁護を行わないという姿勢を明らかにしたため、先の憲法改正案を提案した6人が州代表として弁護人に立つということになった。
ところが、同性結婚に同情的な裁判官は、裁判の模様をYouTubeで逐一放映すると発表した。
過去にも同性愛活動家たちは暴力を使って同性結婚反対派を威嚇していたが、YouTubeなどで大々的に裁判の模様が公開されれば、弁護人や証人らの顔や名前が知れ渡ってその嫌がらせも攻撃も一層激しくなる恐れがある。
すでに弁護側の一人がその可能性を恐れて弁護チームから外してもらいたいと申請するほどになってしまった。
この人はハクシング・ウィリアム・タム(Hak-Shing William Tam)さんという人で、先の法案に関連するという理由で、過去にも命をねらう脅迫状を受け取ったり、家屋を破損されたり、道ばたで嫌がらせを受けたりしたことがあったという。今回弁護人になり、自分がもっと公になることで自分や家族への暴力攻撃が増えるのを恐れているという。
今回の裁判では同性愛者側が勝つことが予測されているが、その後弁護側が控訴し、裁判は連邦の最高裁判所まで行くであろう。そうなれば同性愛結婚は完全に違法となることは解りきっている。
だが、それには時間がかかり、その間にカリフォルニアでは同性愛結婚が合法となってしまうため、同性結婚の急増がおこる。後になって同性結婚が違法となって合法だった時の結婚を無効にするとなると、またまた問題が起こる。
連邦最高裁で、一夫一婦制のみを合法な結婚とすることは憲法違反ではない、という判断がされれば、全国の州でカリフォルニアのような憲法改正案が通り、すでに裁判所が強制的に同性結婚を合法とした州以外で同性結婚が認められることはなくなる。
私は結果ははっきりしていると思う。ただ、そこへ行き着くまでには何年もかかり、その間に同性愛者と一般市民とのあいだで激しく癒されない傷が生まれるはずだ。
同性愛者たちは、自分らが非常な少数派であるということを忘れている。同性愛者が安心して生存できるのは、一般市民の寛容心があるからである。ほとんどの異性愛者は同性愛は変態だと思っている。しかし、自分らの生活に直接邪魔にならないのであれば、その存在は許容するという考えだ。それが、自分らの道徳観念の根本を覆すような法律を自分らの意志に反して強制的におしつけられるとなれば、これまでのような寛容心はふっとんでしまうだろう。
同性愛は違法であるというような古くさい法律を取り除くことには賛成だった人々の間ですら、同性愛者は権利を与えれば与えるほど態度がでかくなって人々の平和を脅かすと思われたら、これまで得たせっかくの権利を台無しにしてしまう恐れがある。
私には同性愛主義の友達が結構いる。個人的に私は彼らに恨みもつらみもないどころか好意を持っているし、彼らが同性愛者であるというだけで差別されるべきではないと考える。しかし、同性愛活動家のあまりにも理不尽で傲慢な態度を見せつけられるにつれ、やはり同性愛や違法にしておくべきだったのではないか、と普段は同性愛者に同情的な人のこころも揺らぐのではないだろうか?
追記:結構このエントリーにも反響があるみたいなので、下記に関連記事を掲載しておこう。コメンターの意見が典型だとしたら、卒倒おこす可能性あり。ご自分達の責任で読んでいただきたい。
カリフォルニア最高裁、同性結婚禁止法は違憲と判決
同性結婚は文明社会を破壊する
同性結婚は文明社会を破壊する、その2
カリフォルニア州、同性愛結婚が敗北した日
マサチューセッツの同性結婚を導いた夫婦が離婚
January 10, 2010, 現時間 2:38 PM
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January 9, 2010
イギリス:自衛否定が行き過ぎるとこうなるという例
以前から人権擁護法などを設立して個人の自由を奪いつつある英国で、偶然なことに自衛問題に関する事件があったのでご紹介しよう。
マイリーン・クラスさん(31歳)は、イギリスでは人気者の女性タレント、元歌手で今はテレビの司会やモデルなどの仕事をしている。先日、彼女が2歳になる娘と一緒と二人きりで居た時、自宅の台所で料理中、十代の青年二人が彼女の家の庭に入って来て、台所から侵入しようとしたため、クラスさんは持っていた包丁を振り回して侵入者を追い払った。
青年二人が逃げた後で警察を呼んだクラスさんは、警察官から刃物を振り回すのは「凶器を使った」行為で違法かもしれないと警告されたという。自分の家に居てもである!
これがアメリカだったら、家主が青年二人を撃ち殺しても場合によっては罪に問われない可能性は多いにある。
イギリスではこういう恐ろしい話がいくらもある。家主が強盗と格闘の末取り押さえた後、警察は強盗を処罰せず、家主を過剰防衛で逮捕。強盗を証人にするなんてことが起きているのだ。信じられない事だが、英国では自己防衛は違法なのである。
自衛は否定しないが、自衛に関する議論は否定するなどという言っている人々の意見が行政に反映されれば、上記のようなことは日本でもアメリカでも起きうる。
みなさん、充分にご注意されたし。
追記:イギリスでも昔は銃砲所持は合法だったが、1950年頃全面的に違法になった。以来イギリスでは凶悪犯罪が激増。しかしその度に自己防衛への規制が厳しくなるだけで、防犯対策はほとんどされていないというのが現状。銃砲所持が合法のアメリカでは、どうなのか、現状は下記のエントリーをご参照のこと。
銃が多いと犯罪が減る ええほんとお〜?
銃が多いと犯罪が減る その2
追記 2:同じことを繰り返して別のエントリーを書くとこの話に興味のない読者を失うので、追記として書かせてもらう。
私への批判をするコメントは大きく分けて次の三つ。
- そんな話してんじゃねんだよ、勘違いもはなはだしい、外野はすっこんでろ。
- 正当防衛とか過剰防衛なんて話がなんで自衛論に関係あんだよ?
- 藁人形議論:俺たちは自衛を否定してんじゃなくて、自衛論を否定してんだよ、まだわかんねえのかよ。
私の話てることが、批判者の話している事と違うのであれば、無関係なエントリーにコメントなどしないで無視すればいいだけの話。そちらこそ外野である。
正当防衛が行き過ぎれば過剰防衛になる。どこまでが正当でどこからが過剰なのか、それは個人にどれだけの防衛権利があるのかということで決まって来る。防犯は警察の仕事であり個人にその責任がないという考えが大きければ大きいほど正当防衛の幅は狭まる。それが行き過ぎればどんな自衛も違法だということになってしまう。英国の例がそれだ。自衛は個人の責任かどうかという話において、過剰防衛規制は多いに関係がある。
個人の自衛責任を唱えてはいけないという考えは、自衛そのものを否定していることと実質的には変わりはないと言ったはずだ。藁人形論というのは、自分が答えやすい問題提議をしてそれをなぎ倒すやり方を言う。コメンター達は自衛否定は藁人形だと言いたいらしいが、何度も言うように自衛論否定=自衛否定である。よって私の書いていることは藁人形論ではない。
January 9, 2010, 現時間 8:14 AM
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左翼リベラルが自衛の自己責任を恐れる本当の理由
コメンターのBoyFridayさんも指摘しているように、一連の自衛論争で自衛(論)を否定する人たちの根底には左翼リベラルの匂いが漂っている。もし、読者のなかで被害者の気持ちをさらに傷つけたくないという理由で自衛論否定を支持している人がいるならば、はっきり言わせてもらう。あなた方は左翼リベラルの嘘にたぶらかされていると。
誰が投票して選んだわけでもないのに、勝手に被害者の代表だの女性の味方だのを気取って、個々の女性に出来る効果的な自衛を否定する奴らの本心は、女性救済でも女性の地位向上でもない。彼女達の本当の目的は自分らの運動家としての社会的地位を向上させ、左翼の社会主義を促進することにある。
もし、彼女達の本当の目的が女性を救うことにあるのであれば、これ以上女性が強姦魔の被害に合わないような効果的な方法に耳を傾けず、自衛など役に立たないといって最初から自衛の効果を過小評価したり、自衛に関する議論を弾圧しようなどとするはずがない。
彼女たちは「君らの語るような自衛は誰もが実践していることで、今更指摘されるまでもない。」とは言っても、それでは、「もっと効果的な自衛方法を議論し合おうではないか」という提案は絶対にしない。それどころか自衛について議論すること自体が有害だとして、議論そのものを止めさせようと必死だ。
どうして彼女たちはこれほどまでして、個人による自衛行為を否定するのであろうか?
お断り:カカシは『自衛を否定しているのではなく、自衛を説くことによる被害者への攻撃を否定している』という理屈は認めない。私は自衛論が被害者を傷つけるという前提そのものを受け入れない。自衛は認めるが自衛に関する議論は認めないなどという、左翼リベラルの言論規制に従う気持ちも毛頭ないのであしからず。
社会主義は全体主義であり、個人主義の敵である。だから個人の力が強くなることを恐れるのだ。左翼リベラルにとって個々の人々が弱者のままに留まり、自分たちに全面的に頼り切ってくれる状況こそが理想なのだ。市民にやたらに自己防衛などされて、彼らが政府を頼りにしない自立心をもったりしては、市民を左翼リベラルの思い通りに支配することが出来なくなる。
アメリカでリベラル政治家たちが国民保険を押し進めるのも、アメリカ市民から、個人が民間の保険を選ぶなどという選択力を奪いたいからだ。彼らが小銃携帯による自己防衛を忌み嫌うのも全く同じ理由からだ。
左翼フェミニストたちは本気で自衛は効果がないなどとは信じていない。いや、むしろ自衛には多大なる防衛効果があると思っている。だからこそ、そんな効果的な方法で個々の女性らが自分の身を守って強くなるなどということは許せないのだ。そんなことになったら、か弱き女性たちに自分たちだけが頼りにされるという保証がなくなってしまう。
今なら、自分も犯罪の被害者だったから被害者の気持ちが解るといって、あたかも女性代表みたいな顔をしていられるが、そんな奴らを頼りにしなくてもいくらも防犯方法があるなどと一般市民に知られたらそうはいかない。
女性の気持ちを傷つけることになるから、なんてのは一般の心優しい読者をたぶらかせて自衛論を弾圧するための口実に過ぎない。
犯罪の被害者の気持ちを傷つけてしまうかもしれないと思って自衛を語るのを控えている読者の方々に申し上げる。こんな奴らに遠慮する必要はない。
だいたい外野は黙ってろとかいう奴らに聞きたい、いったい誰が内野だとか外野だとか決めたんだよ。誰があんたらを自衛討論の議長に選んだんだよ、とね。被害者だというだけでそういう権威があるというなら、カカシも被害者のひとりとして、自己防衛を否定するなどけしからん、自衛論の討論は奨励すべきだと主張したら、彼女たちはどうするんだろうね?
January 9, 2010, 現時間 2:56 AM
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January 6, 2010
六割以上の強姦被害者が自衛は役に立ったと回答、自衛否定論こそ有害である!
自衛は役に立たないとか害あって益無しとか言って自衛を否定する人々の意見とは裏腹に、強姦の被害にあった際、自衛は非常に効果的であるという非常に興味深い統計があるので紹介しておく。
これはアメリカの2006年の犯罪統計のまとめで、英語ではthe 2006 National Crime Victimization Surveyという報告書。
そのなかで、特に強姦の被害者として実際に襲われた時点で何らかの自己防衛手段を使って抵抗した人(銃や刃物などの武器を使わず、声を張り上げた、逃げた、蹴った、殴ったといったような)に、その自衛は役に立ったかどうかという質問をした時、役に立ったと答えた人が63.8%も居たという。反対にかえって状況を悪化させたと答えた人は13.8%、状況は好転もしたが悪化もしたと答えた人は1.9%。どちらとも言えないと答えたのが12.7%、わからないと答えたの人が17.8%だった。
襲われたら最後、どんな抵抗をしても無駄だとか、自衛は害あって益無し、なんて何の根拠もないのに口から出任せを言う人のいうことを信用して、実際に襲われた際に全く無抵抗で相手の言われるままになるのは、安全どころか非常に危険だ。自衛否定論は、逃げられるかもしれない状況をあえて否定してしまっていることで、非常に有害である。
ところで、自衛は否定しないが自衛論は否定するとはどういう意味だ? 「自衛をしない人間は強姦されて当然だ」という論を自衛論だと勝手に定義づけているなら、今すぐ止めてもらいたいものだ。話がややこしくなる。
アップデート:
下記のコメントで圧倒的多数意見は、『「自衛」を否定したのではなく、「自衛論」を否定しているだけだ、お前は読解力ないな! 』というものだ。
しかし『自衛は個人の責任であり、効果的である』という論説は、被害者を傷つけるだけで有益無害であるから、自衛の大切ささえ説いては行けないという理論は、結果的には自衛を否定することになる。自衛論を悪用する馬鹿がいるから自衛論そのものを弾圧しようという行為は自衛否定と全く同じ行為だ。
相手が自分と意見が異なるのは、相手が自分のいってることを理解できていないからだ、という考え方は自衛否定派たちの傲慢さを物語る。彼らのやっていることは実質的には自衛否定なのだ。彼ら自身がそれに気づいているから、「自衛は限られていて役に立たない」と何百回も言ってたくせに、自衛の効果をはっきり提示されると「自衛否定など最初からしていない。」という敗北宣言となるわけだ。
アップデート2:
私が自衛(論)否定者たちの言ってることを理解できずに自衛を奨励している、と決めつける人が非常に多いのでもう一度言う。私は自衛否定者と自衛論否定者を混同してなどいない。「自衛否定ではなく自衛論否定をしているのだ」という当人が繰り返し「自衛は役にたたない」と書いているのを私は何度も読んだ。
自衛を説く人がいうような自衛はすでに皆やっているか、あるいは現実にまったく即していないため、役に立たない、フランチェス子の日記
フランチェスコは「自衛を説くことは有害」だと断言している。自衛は否定しないが自衛を説くことは否定するなんてのは屁理屈もいいとこだ。
「自衛」を主張したって無意味です。 本当に、狙われたら最後、逃れようがないのです。 (略) 性犯罪以外にも、ひったくりや強盗もあるし、自衛は大切です。 そんなのはわかっています。 はっきり言います。誰だって自衛はしているのです。 女性は誰でもしている、ものごころついた頃からしているのです。 私も今でもしています。ずっと。それでも、被害に遭うのです。
自衛しているにしろ、していないにしろ、被害に遭うのです。
狙われたら最後、防ぎようがない。あなたは悪くない
「自衛は大切です」といいながら、自衛などしても強姦は「防ぎようがない」と自衛の効果を否定している。これは自衛は役にも立たないと言っているのと全く同じだ。
ところで今気がついたのだが、二人とも『「自衛論」を説く人は、』とか『「自衛論」を主張しても』とは書かかずに、どちらもそれぞれ『「自衛」を説くひと』、『「自衛」を主張しても』と書いている。二人とも自衛も自衛論も同じ意味で使っている。
はっきり言って、自衛論否定は自衛否定と同じである。自衛論とは、自衛に関する個人責任を追求する論理であり、自己責任の追求は被害者を傷つけることになるからすべきではない、という考えは自衛の責任は個人にはないと言っているのと同じだ。
自衛の自己責任を否定するということは自衛を否定しているのと実質上なんの変わりもない。しかも、自衛に関する話をする事自体いけないということになるなら、人が自衛の方法を学ぶ事を否定しているのであり、自衛否定以外のなにものでもない。自衛に必要な情報や議論を弾圧しておいて、「なにも、自衛をするなとはいってない」など、よくも平気な顔して言えるものだと思う。
私は自衛(論)否定者の言っていることを誤解して批難しているのではない。私は自衛(論)否定者たちの言っていることを100%理解した上で批難しているのだ!
いい加減、ちゃんと読めよ。
追記: 日本では現実的ではないが、アメリカでは一般市民の所持する銃砲によって凶悪な犯罪が阻止された例がいくつもあるので、それについても紹介しておこう。銃砲による自衛は、一個人による防衛がどれだけ役に立つかという究極な例といえる。下記は私が二年くらい前に書いたエントリーからのリンク:
銃が多いと犯罪が減る ええほんとお〜?
銃が多いと犯罪が減る その2
January 6, 2010, 現時間 10:26 PM
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January 4, 2010
被害者だからって自衛論を否定する権限があるのか?
私は911事件で家族を失った人や、イラクやアフガニスタンで息子や夫や妻を失ったという人が、あたかも自分が対テロ政策の専門家になったような口を聞くのにはかなり頭にきていた。自分が被害者だからとか当事者だからというだけで、突然その人間がテロの専門家になれるという意識が理解できない。同じように、自分が犯罪の被害者になったことがあるというだけで、突然犯罪学の専門家にでもなったつもりで「自衛論を説くな」とか命令する輩には、はっきり言って私は非常な憤りを感じる。
あんたら、何様のつもりよ?あんたらのくだらない犯罪論のせいで、防げるかもしれない被害が防げずに、被害に合わなくてもいい人が被害にあったら、どういう責任をとってくれるわけ?
自衛論は被害者を傷つけるって?セカンドレイプだって?何を根拠にそんないい加減なことをいってるわけ?
こういうことを言う人たちってのは、自衛は個人に責任があるという主張をすると、「それみろ、薄着をしている女が悪いんだ、ミニスカートで男を誘惑する女のせいなのだ、俺がわるいんじゃない。」と思って、極普通の男が突然強姦魔に変身するとでも言うのか?そうだとしたら、それこそ神話じゃないか?
普通の男は女性を強姦したいなんて想っていない。普通の男は、たとえどれだけ性欲を感じても、女性の意志に反した乱暴なことをしたいなどとは考えていない。何故なら好意をもっている女性に嫌われたい男性なんていないからだ。
女性の意志を無視して、いや、あえて嫌がる女性を無理矢理自分の支配下に起きたいなんて想ってる男は元々変態なのだ。そんな奴は自衛論の是非になど興味はない。そういう奴の犯行を阻止することが出来るのは、奴が奴の欲望を実行に移すことを困難にする状況をつくることであり、終局的には当の被害者となりうる女性の手にかかっている。
自衛を唱えると、実際に被害にあった人が裁判の際に「自衛をしていなかったからいけないんだ。」と責められる可能性があるからすべきではない。という人に対しては、私はよくアメリカで言われる「6人に運ばれるより、12人に裁かれることを選ぶ」ということわざの方を選ぶね。
つまり、自分の身を守るために加害者を殺したとして、殺人罪で裁判にかけられ12人の陪審員に裁かれたとしても、死んで6人に棺桶を担がれるよりはまし、という意味。
悪いけどね、被害者にとっては、強姦された後の裁判で犯人が有罪になろうがどうなろうが、強姦されたっていう事実を変えることは出来ない訳でしょうが。そんなことより、強姦されないように気をつける方が先決じゃないの?
私は自衛論否定者の言う事を読むにつれて、この人たちは被害者の気持ちとかなんとか言う割には、本当は被害者のことなんか本気で考えてなないんじゃないかという気がしてくる。本気で被害者を減らしたいなら、なるべく多くの女性に効果的な自己防衛のやり方を教えるべきだ。被害者なら自分の体験を生かして他人が同じ目にあわないように色々教えるてあげるべきだ。被害者に被害にあわないような自衛論を説くな、なんて馬鹿なことを言えるはずがない。
とおもうんだけどね。
アップデート:
私がフランチェスコさんの書いてることをきちんと読めてないという指摘があったので、具体的にひとつひとつの点を分析させてもらう。
自衛を説く人がいうような自衛はすでに皆やっているか、あるいは現実にまったく即していないため、役に立たない、
女性の夜の一人歩きは避けましょうとは、口を酸っぱくして言われていることなのに、まだまだ夜道の一人歩きをして襲われる女性が後を絶たない。あきらかにそんな「自衛はすでに皆やっている」という供述は誤りである。
夜道を一人歩きしないことが「現実に全く即してない」生活をしている人は、その生活を見直す必要がある。職場が遠過ぎるなら引っ越すとか、職場の従業員や雇用主も含めた人々で相談して、夜遅く徒歩で帰る従業員の送り迎えなどを考え直すことをお勧めする。
被害に遭うのは自衛がたりなかったからだという間違った認識を人々に植え付け、被害者を傷つけ、萎縮させ、黙らせてしまう。これはセカンドレイプであり、このような二次加害は、性被害をうけうるすべての男女を抑圧しつづけ、未来の被害者をもあらか傷つけている。
被害者がセカンドレイプで傷つかないようにするには、被害者の届けを扱う警察や病院や相談所などの人々が被害者に対しての心遣いをどうするか、というきちんとした教育を受けることが大切だ。自衛論を否定する暇があったら、そういう人々への理解を求める運動に力を入れてはどうなのだろうか?
自衛のプロでもなんでもない、おそらく自分さえ守れないだろう非力な人間の「ぼくのかんがえた自衛」など有害無益。「自衛を説くのが無意味だとおもわない」という人は、舗道、職場、学校、塾、家、教会、公園、ペッパーランチの店内などでいきなり誰かに襲われても、絶対に無傷(襲われてる時点で無傷じゃないから無理なはなしだけれど)でいられる方法とか、もしくは性犯罪者を事前に見分ける方法、性犯罪者と出会わないようにする方法をおしえてください。もちろんふつうに日常生活をおくりながら、です。それならきいてやってもいいわー。よろしくね。
「自衛のプロでもなんでもない、おそらく自分」では試してみた事もないのに、役に立たないと決めつけて、自衛を否定する事こそ有害無益。こういうのはハイジャックされたらおとなしく犯人のいいなりになっていなさいと言う人と同じ。この間の航空機爆破未遂事件でも乗客の「自衛」が300人以上の人々の命を救った。
公共の場所で襲われる人というのは、攻撃者からみて弱者に見える場合が多い。だから襲った場合に面倒な抵抗をしそうな人間は犯罪の被害者にはなりにくい。常に自分の回りの環境に注意を払う人、歩いている時に目的を持って歩いている人、武器をもっていそうな人などがそれだ。
また、性犯罪者を事前に見分ける方法とまではいかないが、怪しげな行動をする人を見抜く方法というのはある。これは警察官や警備員が常に受けている訓練と同じだ。個人だけでなく、隣近所の人々が、公園で一人で子供の遊びを見ている変な男がいたら、話しかけてみるとか、近所に見慣れない人がいたら、挨拶をしてみる、というだけでも犯罪者を遠ざける役に立つ。
万全の注意をしていても100%防犯が可能とは言えない。しかし、少しでも被害を少なくする事が出来るのであれば努力する価値はある。100%の効力がないから全く努力は無駄というのはあまりにも極端な考えだ。
っていうかそんなことより、身近な人が被害に遭った際、二次加害を加えないための注意事項(有害無益な「ぼくのかんがえた自衛」を説くな、もそのひとつ)や、ウェブで不特定多数の被害者を傷つけないための配慮のがよほど重要だとおもうんだけれども、なぜかそっちにはぜんぜん興味ないみたいで、そこからおのずと透けてみえるものがありますよね。
ウェッブで不特定多数の被害者の気持ちを傷つけない事の方が、今後被害者を増やさないようにすることより大切だという考え方には全くついていけない。私にとって最優先なのはこれ以上の被害者を出さない事だ。人々を犯罪から守ることのが一番大切だ。申し訳ないが私にとって、犠牲者の気持ち云々は二の次である。事件後の被害者への対策は、また別の問題として議論されるべきであり、自衛の是非に関する問題と混合されるべきではない。
正直な話、フランチェスコや他の自衛論否定者には、被害者の数を減らそうということに全然興味がないように思える。そういう行動からは、個々としての女性をあくまでも弱者として留まらせておこういという、なにやら悪どい政治的アジェンダが透けて見える。
January 4, 2010, 現時間 9:42 PM
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January 3, 2010
自衛は無意味ではない!
ちょっと一部でまだ続いている強姦に関する話題だが、「あなたは悪くない」というブログで、『自衛』を主張したって無意味ですというエントリーがあって、そりゃ違うだろ、と思った。
そんな書き方をすると、それこそ「素人は黙ってろ」と言われそうなのだが、犯罪の被害者になったことがなければ防犯について語ってはいけないということはないはずで、自分の経験を生かしたこと以外は語る価値はないというのもかなり傲慢な言い方のような気がする。
と、前置きをした上であえて言わせてもらうなら、カカシは性犯罪の被害生存者である。英語でいうならサバイバーというやつだ、ということを告白しておこう。
信用できると思っていた友人や恋人から「なんで隙を見て逃げなかったんだ?」とか、無理矢理連れて行かれたのに「そんな時間になんで一人で男の部屋にいったりしたんだ?」とか反対に責められた経験もある。届け出た警察でも、屈辱的な犯罪の過程を根掘り葉掘り聞かれた末に、取り調べの刑事から「浮気を隠すために強姦話をでっちあげたんだろう。」と一笑に伏された経験もある。
だから私は完全なる部外者ではない、その私が自衛は大切だといえば多少は重みがあるのではないかと思う。
上記の「あなたは悪くない」のトピ主さんは、自衛を提唱する人は強姦神話を信じているのではないか、という質問をしている。
夜道、一人歩き、見知らぬ人による犯行。 「挑発的」な服装をした被害者が狙われる。加害者は、性欲が異常な、ごく限られた小数の人間。
ほんの出来心で、“つい”かっとなって性欲が抑えられずに犯行に及ぶ。よって、彼らの性欲を刺激しないようにすればいい。
と思っているのではないですか?
私はだいたい強姦を「性犯罪」と呼ぶこと自体が間違っていると思う。強姦はセックスではない。強姦は暴力であり冒涜である。強姦魔の動機は性欲云々ではなく、相手を徹底的に支配したいという欲求から来る。だが、そういう奴は決して自分は強くない。自分の力に自信がないからこそ、弱いものを狙うのだ。
トピ主自身も、強姦の被害に合うのは、派手な格好をしている人というより、おとなしそうな人、被害にあっても抵抗しそうにない人、などが狙われると書いているように、加害者は被害者を非常に気をつけて選ぶ。だから、加害者の標的にならないためにはどうすればいいのか、という対策を考えることは無意味ではないはずだ。
私は自分自身の体験から考えて、確かに回りの人から「なぜ〜をしなかった?、なぜ〜をした?」と問われたことは悔しかったが、それでも後になって冷静に考えた時、自分にも出来ることがあったと思える。その時はその術を知らなかっただけだ。
それは決して被害者を責めるとかいうことではなく、実際にそういう立場になった時、犯罪から逃れる術を考えておくことは建設的なことだ。それを「狙われたら最後、逃れる術はない」とか「自衛などで防げるわけがない。」とかいう言い方は、これから被害にあうかもしれない人たちに対して、非常に無責任なアドバイスだと思う。
たとえば、こんなシナリオを想像してもらいたい。
ある若い女性の家に夜10時を過ぎた頃、レストランに勤めていた女友達のA子から電話があって、もうすぐ仕事がひけるから一緒に飲みに行かないかと誘いがある。女友達の同僚でこの女性も顔見知りの男性がおごってくれるとの話であった。指定の飲み屋に行くと友達はまだ来ておらず、おごってくれるという彼女の同僚の男性が一人で飲んでいた。やってきた女性を見てかれは「A子ちゃんは、まだ仕事が終わらないから先に飲んでてと言ってたよ」と彼女からの伝言を伝えた。しかし20分くらいしても彼女が来ないので、その男性は「電話してくる」と言って席を立った。
戻って来た彼は、「いつ終わるか解らないから先に始めててと言っていた。腹へったから別の場所にいこうぜ。移ってから彼女にまた連絡すればいいから。」と言った。若い女性は彼の車に一人で乗りこんだ。しかし、行き先は別のレストランではなかった。
さて、この話が実話だったとしたら、「あなたは、、、」のトピ主さんが言うように、そんな解りきった自衛など誰でもしていると言う主張は正しいといえるだろうか?
この女性の行動はちょっと軽卒だと言えないだろうか?
若い女性が夜遅くに飲みに出かけるという行為自体が問題だとは言わないまでも、女友達の同僚という男性のいうことを完全に信用してしまうということには疑問を持つ。
この女性はこの男性とは単なる顔見知り程度の関係。信用出来る相手だと判断する根拠はない。なのに、彼の車に一人で乗ってしまった。後で友達に連絡するという彼の言葉を信用してしまった。いや、それをいうなら、彼は席を立った時、本当に友達に電話したのだろうか? この時、この女性が自分で彼女に電話していたら? いや、彼女が来るのを待ってから場所を変えようと言い張っていたら?
もうお察しがついたと思うが、これはカカシの身に実際に起きた事だ。机上の空論でもなんでもない。私は決して自分が悪かったとは思っていない。加害者が絶対に悪いと思っている。だが、犯罪が起きる前の段階で、それを避ける術はあった。彼の車に乗った後でも、逃げる機会はいくつかあった。しかし私にはそれが解らなかった。相手の男性を怖いと感じながらも、私にはまだ自分が強姦の被害者になりつつあるとは信じられなかった。いや、信じたくなかった。だからおとなくし言いなりになれば傷つけはしないという相手の言葉を信じたりした。
後になって賢くなった私があの時の私に「カカシ、その男には下心があるよ、付いて行っちゃ行けないよ、信じちゃ駄目だよ」とアドバイス出来るものならしたいと思う。無論今となってはそれは無理だ。しかし、同じような目にあいそうな別の若いお嬢さんたちに、そういうアドバイスをしてあげることの何がいけないのだろう?そうすることが何故被害者を責めるということになるのだろうか?
私を襲った男は、最初から私を狙っていた。私の女友達を使って私をおびき寄せた。用意周到に犯罪を計画した悪どい奴である。人間のくずである。
しかし、私がうぶでなかったら、もう少しそういう悪い奴の手管を見抜く術を知っていたら、そいうことを教えてくれる大人が回りに居たら、大事は防げたかもしれない。
トピ主さんは、「考えられる限りの自衛は誰だってしている。」というが、果たしてそうだろうか?
例えば、たとえ刃物や銃器で脅されても、おとなしく攻撃者に付いていったりせず、相手をどついて逃げるとか、運転席に座っている時に運転席側から人が乗って来てカージャックされそうになったら、自分はとっさに助手席側のドアをあけて逃げるとか、普通の人は普段考えているだろうか?
自衛論者のふたつのブロガー(narusasaの日記、オタク入門中)に対して上記のトピ主は、「あなたは、性犯罪をなくしたいですか?それとも性犯罪を増やしたいですか?」と問いかけているが、私には自衛を提唱することが性犯罪を増やすことになるとという前提は受け入れられない。
強姦をしようなんていう人間の欲求は相手が自衛をしているかどうかでは変わらない。ただ、自衛をしている人が増えれば犯罪者の行動範囲は限られる。極端な話だが、アメリカでは小銃所持が合法になった地区では強盗や強姦などの犯罪が極端に減ったという例がある。誰が武装しているか解らない場所は犯罪者は避けるからである。
私にはそれが悪いことだとはどうしても思えない。
そこで、酷な言い方かもしれないが、私はあえて彼女にききたい。
あなたは犯罪の犠牲者を減らしたくないのですか?
January 3, 2010, 現時間 2:33 PM
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December 31, 2009
机上の空論ではない自衛論、一人旅で気をつけたいこと
大晦日なのにしつこくて申し訳ないが、今回は個人が簡単に出来る(するべき)自衛についてお話したい。ところで、自衛を唱える人に対して私は理不尽な批判が多くあるように思えてならない。それは、
- 自衛を個人に強要しようとしている。
- 自衛は個人のみの責任であり社会は関係ないと唱えている
- 自衛をしないで被害にあったら自業自得、加害者のせいではないと主張している。
はっきり言って、イスラム教のシャリア法を強制するタリバンじゃあるまいし、女の子のミニスカートは違法にすべきだなどと本気で言う日本人はいないだろう。社会の治安を良くして行く努力が必要なのは当たり前だが、社会が変わるのを待っている余裕はないので、自分たちで出来るところから始めようと言うのが自衛論者たちの姿勢だと思う。第三に至っては馬鹿馬鹿しくて話にならない。
私は自衛論を批判する人に、あなたは出かける時に家の戸締まりはしないんですか?とお聞きしたい。
ところで「自衛論者は我々が自衛をしていないと思っているのか?」と聞く人があった。ここであえて言わせてもらうならば、非常に多くの人が出来る自衛を充分にしていないと私は思う。
これは私自身が犯罪の犠牲者になったことがあるので言えるのだが、自衛というのは、常に考えていないと、何かあった時ではとっさに判断できない。何かあってから「ああ、あの時ああしておけばよかったのに、あんなことをしなければよかったのに」と思うことはよくある。後にして思えば自分が常識的な防犯をしていなかったことに気づき、自分を蹴りたくなることもある。
普段から、こういう場合にはこうしよう、ああしよう、という計画があれば、たとえ犯罪にあっても、被害を最小限に抑えることが出来るというものだ。
私がこれからお話する自衛法は職場で強制的に受けさせられた自衛法セミナーからの受け売りだが、決して机上の空論ではなく、私も常々こころがけているものである。
以前にもお話した通り、カカシは出張が多い。女性のひとり旅は常に危険を伴う。もちろん、これは女性でなくても充分に気をつけるべきことだ。
飛行場:
飛行場のゲートロビーなどで会議前の最後の準備とばかりにおもむろにノートパソコンを開けるのはいいが、回りでどんな人が見ているから解らない。企業秘密や個人情報を含む画面が出るような仕事をするなら、画面が真正面からではなくては見れないようになっているモニターを選び、後ろに誰が座っているかに注意を払う。
携帯電話で重要な話はしない。回りの迷惑も考えず、やたら大声で他人が聞きたくもない話をする人がいるが、誰が聞いているかわからないのだ、人に知られたくない話は厳禁。
送迎バス:
バスの中で見ず知らずの人と、自分が何処から来てどこへ行くのかというような話はしない。ま、飛行機のなかでハワイには休暇で行くとか話す分にはかまわないが、私はどこどこの何と言う会社に勤めていてこのような企画についてる、なんて詳しい話を聞かれもしないのに話す人がいるのには驚く。新婚旅行とか家族旅行ならともかく、一人旅ならこういう話は厳禁。
ホテル
ホテルの場所は繁華街は避ける。たとえ職場から多少遠くても、治安の良さそうな場所を選ぶ。その地域に行った事のある人や、地元の人に相談するとよい。
部屋の位置は、一階、特に外の通りに面している部屋は避ける。外から誰が泊まっているか丸見えになる部屋は駄目。
やたらに自分の部屋番号を人に教えない。信用できる友達や同僚なら別だが、ホテルのロビーなどで大声で「私は203号室よ、あなたは?」とかいう会話はしないこと。誰が聞いているか解らない。
おつきあい
出張先でのお付き合いもほどほどに。酔っぱらって歩けなくなるほど飲まないのは当たり前だが、カカシは勧められると調子に乗るほうなので本当に自重が必要。また、夜の一人歩きは危険なので男性に送ってもらうのは当然。しかし、その男性が送り狼にならないように、部屋には安易に入れないこと。男性がお手洗いを借りたいと言ったらロビーの公衆お手洗いをつかってもらうようにする。(注:自分は普通のおばさんだから、そんなことはあり得ないという油断は禁物。性犯罪の犠牲者は若い女性だけだと思ったら大間違い。)
また、あなたが男性なら安易に女性の部屋に入らない。後でセクハラされたとか言いがかりを付けられる可能性も考える必要がある。
というわけで、今回は誰でもできる一人旅での注意事項を掲載した。このアドバイスを聞くも聞かぬも本人の自由、強制はしない。あなたも大人だ、ご自分のリスクで行動してくださいな。
アップデート:関連することで、女性の一人旅での注意事項を書いている人がいたので、ここでも紹介しておこう。やっぱMITで修士を取ろうなんていう頭のいい人は言う事が違うわ。
- バー・レストランでは、テーブルの二人席に座る。
- 目をあわさない
- 目が合っても、愛想笑いしないで普通の表情でいる。
- 興味がない人とは頑張って話さない
- 間違ってもおごってもらわない
詳しい説明は全文をお読みになることをお勧めする。
December 31, 2009, 現時間 4:14 PM
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December 30, 2009
おばさんでもミニスカートは履くよ
私がひょんなことから口を出した曾野綾子さんの「用心するということ」に関するエントリーを通じて、それに関する意見を色々読ませてもらった。
しかし、いくら自己防衛奨励側が、用心するということは、決して加害者の罪を軽減するという意味ではなく、被害者がどれだけ隙を見せていようと、加害者にそれを悪用する権利はないのだと繰り返しても、反対派はまだ我々が被害者を一方的に責め立てているという歪曲した解釈を変えようとしない。
はっきり言わせてもらうが、家に多々の警備設備を設置してガードマンを何人も配置させている家であろうと、ドアや窓を開けっ放しにしている家であろうと、盗みに入った泥棒の罪は同じである。強姦魔が女性を襲った場合に、その女性が酔っぱらって動けない状態であろうと、正気で攻撃者の顔を引っ掻くくらい暴れられる女性であろうと、強姦という罪の重さに変わりはない。
ところで、曾野綾子のエッセーのなかでも、ミニスカート云々という下りが、かなり顰蹙を買ったようだ。
太ももの線丸出しの服を着て性犯罪に遭ったと言うのは、女性の側にも責任がある、と言うべきだろう。なぜならその服装は、結果を期待しているからだ。性犯罪は、男性の暴力によるものが断然多いが、「男女同責任だ」と言えるケースがあると認めるのも、ほんとうの男女同権だ。
曾野さんがいう、「結果」とは男性の気を引くという結果であり、強姦という結果を期待しているという意味ではないだろう。いくらなんでも曾野さんはそんなことは言ってない。しかし、彼女の批判をしているohnosakikoというブロガーのは、曾野さんの考え方は、保守とか右寄りとかいうことよりも、昭和6年生まれのお嬢さん育ちで、思春期に潔癖性を叩き込まれたという生い立ちに影響されているのではないかと書いている。
「親の庇護の下、学校の責任下にある間は、両者とも外出時間やスカートの長さに口を出し、常識を教えて当然だ。それが嫌なら、経済的に自立した上で、どんな結果も覚悟の上でしなさい、と私なら言いそうである。」というエッセイの締めくくりは、まさに思春期に純潔教育を叩き込まれた女性の言い分である。
そういう人の中には、ボディラインを強調したり露出の多い服を着た若い女性が1人でいるところを見れば、すぐさま以下のような連鎖が心の中で起こる人が一定数いるのだろうと思う。()内は件のエッセイより引用。
・男の目を引くじゃないの!ったく今時の女の子は警戒心もなくてお気楽なもんねえ。(最近の日本人は用心することをしない)
↓
・私たちの若い頃はそんな勝手なことは許されなかった。そんな格好しようもんなら後ろ指指された。(性的商売をしていると思われても仕方ない)
↓
・だからあれは男を誘ってる格好よ、薄々わかってやってるのよ。(その服装は結果を期待しているからだ)
↓
・襲われても仕方ないわ。(経済的に自立した上で、どんな結果も覚悟の上でしなさい)
曾野綾子の性道徳のあり方や差別意識の源を「保守だから」「右寄りだから」とする人は多いと思うが、どんな時代をどういう人として生きたかを考えると、話は単にそうした政治的ポジションだけに帰結するものではない気がしている。
ここでちょっとファッシン歴史のおさらいをさせてもらうと、ミニスカートが最初に流行ったのは1960年代、昭和40年代である。いまから50年近くも前なのだ。日本でも当時の芸能人、黛ジュンとか森山加代子とか、いまのミニスカートなんて比べられないほど短いスカートでテレビに出演していた。
それを言うなら、昭和9年生まれの我が母ですら、子供の授業参観日にミニスカートを履いて行って、クラス中の男の子が後ろを向いてしまって授業にならなかったなんてこともあった。(うちのママの脚線美は近所では有名だったのよ。)
つまり、おばさんたちは頭が古いからミニスカートを履く若い女の子たちの気持ちがわからないなんて解釈はナンセンスなのである。今ミニスカートで闊歩しているお嬢さん方のおばあさま方の時代からミニスカートは履かれていたのだから。
ところで、今思い出したのだが、若い頃(1980年代)、当時住んでいたロサンゼルス郊外のある町付近で歩いていたら、突然車が近くによってきて、「〜はいくら?」と聞かれたことがある。〜とは性行為の一つのことだったのだが、うぶな私には一瞬何の事か解らなかった。相手の表情からハッと気がついて急いで家にかえり、家族にその話をしたら、「そんな格好で外を歩いているからだ!」とミニスカートを履いていた私は反対に叱られてしまった。
後で知ったのだが、私が歩いていた大通りは、当時「たちんぼ」の売春婦が多く出没していた場所だったのだ。
私は別にミニスカートを履くなといっているわけではない。かく言う私もこの年でミニスカートもホットパンツも履く。見せられる脚があるなら、見せたっていいじゃん、というのが私の考え。
し、か、し、
そういう格好をするのであれば、時と場所を選ぶ必要がある。
例えば、浜辺でビキニ姿で裸足で歩いているのは別にかまわない。これは普通だ。しかし同じ姿で海岸からひとつ通りを隔てたレストラン街でそういう格好であるくのはどうだろうか?アメリカの海岸近くのレストランで「シャツ無し、靴無し、サービス無し」と書かれた場所が結構あるのも、ここはすでにビーチではない、それなりの格好で来てほしいという意味だ。
曾野さんのエッセーを読んでいても、彼女はミニスカートを履くなとは言っていない。ただ履くのであれば時と場所を考えろと言っているように思える。
今でも忘れられないのは、いわゆる「基地の町」の駐車場で、夜半過ぎに1人で歩いていた女性が米兵に襲われて殺された事件である。もちろん襲った米兵が悪いのだが、午前1時過ぎに基地の近くを1人で出歩く女性は、性的商売をしていると思われても仕方がない。それは日本以外のほとんどどこの国でも示される反応だ。
曾野さんは、「日本以外の」と特定しているが、日本でも同じことだ。去年、佐世保の米海軍基地付近のホテルに泊まった時に感じたことがある。それは、ある程度の時間になると、普通の女性の姿が見られなくなり、繁華街を歩いている女性のほとんどが水商売関係の女性になることである。
同じ繁華街でも、新宿あたりで若い男女がコンパの行き帰りに歩いているといった雰囲気とは、まるで違っていた。
特にセーラーアリー(水兵裏道)と呼ばれるあたりの繁華街は、女性では怖くて一人では歩けない。私は二人の男性のエスコート付きだったが、歩いている女性たちの胸もあらわにしたぴちぴちのミニスドレスは、どうみても場末ホステスのコスチュームであり、そういう女性たちは米兵にうれしそうに触られていたし、自分からもべたべたしがみついていた。
そういう商売をしている人なら強姦されてもいいという意味では決してない。だが、そういう商売をする女性なら、よっぱらった水兵たちが、そういう女なら何をされても文句を言わないだろうと勘違いする可能性には充分注意する必要がある。
女性が男性を魅了したいと思うのは自然な感情だ。美しい胸元や脚線美を披露したいと思うのも多いに結構。そういう容姿を持っているならどんどんやっていただいてかまわない。真っ昼間の浜辺ならビキニもショーツも多いに結構。夜遅くボディコンのドレスを着るにしても男性エスコート付きとか、車で送り迎えをしてもらえるパーティ会場やクラブなら全く問題ない。
親の庇護の下、学校の責任下にある間は、両者とも外出時間やスカートの長さに口を出し、常識を教えて当然だ。それが嫌なら、経済的に自立した上で、どんな結果も覚悟の上でしなさい、と私なら言いそうである。
というのは、何も戦前生まれの潔癖主義を叩き込まれていない現在でも充分に通用する忠告だと思う。
December 30, 2009, 現時間 1:08 PM
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